栗蒸し羊羹の季節は秋から冬にかけて。
この時期は季節外れでもある。
和菓子の楽しみは四季を感じることにもあるが、栗蒸し羊羹を無性に食べたくなる時がある。
わかっていても、頭の中は秋! ということもある。
たまたま京都の畏友・あんじいが、東下りのとき、手土産に持ってきてくれたのが京菓子司「平安殿(へいあんでん)」の「橋殿(はしどの)」(1棹 税込み1000円)だった。
まさかの栗蒸し羊羹。
いつものように何も説明せずにポンと手渡すだけ。これがくせ者で、それがとんでもない絶品ということも多い。
家に持ち帰ってから、二重の包装を解き、重厚な竹皮を取ると、見事な栗蒸し羊羹が現れた。
小倉色のテカリの中に黄色い大栗がぼこぼこと透けて見える。
池に映った夜の月のようにも見える(変な表現かな)。
心がときめく。竹皮の香りの伴奏付き。
この季節に本物の栗蒸し羊羹に出会えるとは思ってもみなかった。
よく見ると、蒸し羊羹の中に大納言小豆が練り込まれている。
おおこりゃあすげえ、と素の言葉が出かかる。
蒸し羊羹は甘みが抑えられていて、もっちり感と歯ごたえのすっきり感が同居している。
蜜煮した大栗は輪郭がしっかりしているのに、ほろほろと崩れ落ちそうな食感で、絶妙な合わせ技となっている。
品のいい、きれいな余韻が舌の奥に残る。
和菓子職人の腕はさすが京都の老舗と言いたくなる。
だが、調べてみたら「平安殿」の創業は昭和26年(1951年)と思ったほど古くはない。京都では「最近の店やなあ」かもしれない。
珍しく「『橋殿』は通年でお売りしてます」(本店)。しかも基本的に本店でしか売られていない。
蒸し羊羹の歴史は古く、鎌倉時代から室町時代にかけて京都周辺で誕生しているようだ。
ところが、栗入りの蒸し羊羹となると、諸説あるが、大正8年(1919年)、千葉・成田山「米分(よねぶん)」初代が作ったと言われている。
蜜煮した栗が入るまで数百年の年月がかかっていることになる。
その気の遠くなるような歴史を想いながら、しばしの間、京都のはんなりを楽しむ。京都のあんじいに足を向けては寝れない。