今回はみちのくあんこ旅であんココロを揺さぶられた盛岡駄菓子のパート2、です。
駄菓子というと、どこか安っぽい、雑なイメージがあるかもしれないが、盛岡で出会った「関口屋菓子鋪」(せきぐちやかしほ)の駄菓子は「駄」を「上」と書き換えたいほど、こだわりを感じさせる和菓子だった。
「駄」は駄目の駄でもなく、駄馬の駄でもない。
見事な蔵造りの店構えの中に一歩足を踏み入れたら、そこは別世界だった、と言いたくなるほど、上質のタイムスリップ感に襲われた(ホントです)。
まずはその一部をご覧いただきたい。
京都の老舗和菓子屋さんのような、渋い木製の敷台に手づくりの駄菓子が竹ざるに区分けされて十種類以上整然と並んでいた。
東北の4大駄菓子の一角として、盛岡駄菓子は知られているが、東北では江戸・明治から続く老舗の相次ぐ店じまいがこのところ続いている。
悲しすぎる。
なので、この関口屋菓子鋪と仙台「熊谷屋」の希少度が増している。
●あんポイント
寒冷地の保存食として、東北には古くから駄菓子屋さんが多い。盛岡、鶴岡、仙台、会津若松が東北4大駄菓子エリアだったが、鶴岡「梅津菓子舗」が去年11月に閉店し、会津若松「本家長門屋」も駄菓子づくりをすでに止め(上菓子中心に移行)、仙台「石橋屋」もつい先月138年の歴史にピリオドを打っている。
★ゲットしたキラ星
あん菱 一袋(10個入り) 454円(税込み)
石ごろも 一袋(18個入り)454円(同)
豆銀糖 一袋(20個入り)454円(同)
豆板 一袋(3枚入り) 275円(同)
【センターは?】
あんこ×きな粉×水飴の絶妙な合体「あん菱」
きな粉のねじり棒やあんこ玉は珍しくはないが、この店で私のセンサーにぴぴぴと来たのが独創的な「あん菱」(あんびし)だった。
表面に玉砂糖をまぶした菱型の半生菓子で、真ん中で切ってみたら、2層になっていた。
これは・・・凝り方に目を奪われる。
中心部はこしあん(煉りあん)で、それを囲むように水飴×きな粉が分厚く包み込んでいる。
見た目よりも柔らかな食感で、甘すぎない。
きな粉の風味が口の中で立ってきて、半生の煉りあんとタッグを組んで、私のGスポットまで攻めてくる感じ。
素材は無添加なので、オーガニックなきな粉と小豆の混じり愛にしばしの間うっとりしてしまう。
塩気がいいアクセントになっている。
職人さんのプロフェッショナル度が伝わってくる。
私の基準からしたら、これはもう立派な上菓子、だと思う。でなければ、上等な駄菓子(おかしな表現だが)。
コーヒーも抹茶も合うと思う。
【セカンドは?】
石ごろも:丸めた半生の煉りあんを糖蜜で包んだもの。同種のものは町のスーパーなどでも見かけるが、個人的な感想では味わいがワンランク違うと思う。
いい小豆の素朴な風味が爆発するかのように広がる。小豆は北海道産を使用、砂糖は上白糖、ザラメ、グラニュー糖を使い分けているようだ。
これまで食べた同種の餡玉とは比べようもない美味さ。
塩気の効き方も絶妙で、どこか懐かしい密度。
キミ、小さいのにやるねえ・・・と囁きかけたくなってしまった。
豆銀糖(まめぎんとう):盛岡の郷土菓子でもあり、南部藩ゆかりの州濱(すはま=きな粉を水飴で練って固めた練り菓子)。
ルーツは京都のようだが、ここのものは平べったい円形で、表面を砂糖でまぶしている。
触るとあん菱よりも固いが、噛んだ瞬間、口の中ですっと瓦解し、溶けていく。
きな粉の風味がストレートに来る。
豆板:これはあんこ菓子ではないが、左右70ミリほどの円形の薄い板状で、ピーナッツ、アーモンド、くるみが糖蜜でコーティングされている。
かなり甘いが、口の中でザクザクと砂糖とともに崩壊する感触は、ナッツ好きの人にはたまらないかもしれない。
《編集長のつぶやき》
▼関口屋菓子鋪の創業は明治26年(1893年)で、現在4代目▼ベースのあんこは製餡所から生餡を取り寄せ、それを商品別に手づくりで練り上げ、加工している▼初代は大八車で飴類を売り歩いていたとか▼白砂糖が高価で、一般庶民の口に届かなかった時代、比較的安価な黒砂糖が駄菓子の主流だった▼それで上菓子=上流階級、駄菓子=一般庶民となっていった、というのが定説▼見方を変えると「駄菓子」の歴史こそ和菓子の歴史と言えなくもない▼「駄」のイメージを変えたい。
「関口屋菓子鋪」
所在地 岩手・盛岡明神町2-3