週刊あんこ

和スイーツの情報発信。あんこ界のコロンブスだって?

虎ノ門岡埜栄泉の「栗饅頭」

 

このところ栗饅頭(くりまんじゅう)にハマっている。

 

きっかけは友人の編集者Y君のメール。最近結婚したばかり。ワイン好きの酔っ払いで、スイーツ類とは無縁な無粋な男。それがどうしちゃったの?と心配になる内容だった。

 

「和菓子は苦手でしたが、先日たまたま虎ノ門岡埜栄泉の栗饅頭を食べて、印象が変わりました。めっちゃ美味かった! 女房もボクの反応に驚いています(笑)」

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何があったのかは知らないが、常に冷静でウソをつくような男ではないので、妙に気になった。結婚して味覚が変わった? まさか。

 

で、虎ノ門岡埜栄泉(とらのもんおかのえいせん)に足を運んだ。ここは豆大福の方が有名だが、栗饅頭の評価も高い。近くには栗饅頭の名店「丸万」もある。

 

一個270円(税込み)なり。上野の「岡埜栄泉総本家」や人形町「清寿軒」などの老舗よりも高い。

 

コスパ的にはどうか? 自分の舌で確かめるのが一番。

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紙のパッケージを取ると、俵型の、かなりデカい栗饅頭が現れた。フツーの栗饅頭の1.5倍はあると思う。

 

手に持つとズシリと重い。

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表面の茶色いテカりがきれい。卵の黄身の塗り方も職人芸で、二つに割ると、中から蜜煮した大栗が丸ごと一個、メノウ色の白あんに包まれた姿が現れた。そのボリューム。まるで竹の中から現れたかぐや姫のよう・・・ちょっとオーバーかな。

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だが、食感がこれまで食べた栗饅頭とひと味違った。

 

皮の薄さとしっとり感、ぎっしり詰まった白あんの風味がかなりのもの。北海道産手亡豆のねっとりとしたこしあんで甘さが控えめなのも好感。

 

蜜煮した大栗はほどよい柔らかさで、ホロホロと崩れてくる。栗のきれいな風味が白あんと絶妙にマッチしている。1+1=3に近い世界。

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その「3の世界」が口の中でゆっくりと溶けていく。ため息が出かかる。

 

ある種、官能的な栗饅頭だと思う。

 

豆大福が昔より小さくなり、ちょっと失望していたが、栗饅頭は大きいままで、Y君がこの味を知って和菓子に対する見方を変えたのも不思議ではない。

 

ところで、虎ノ門岡埜栄泉は上野の岡埜栄泉総本家とは関係が薄い。

 

創業が大正期で、明治6年(1873年)創業の総本家より歴史が浅い。

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岡埜栄泉の歴史は複雑で、ルーツは浅草・駒形のようだ。江戸末期に創業し、そこから明治になって5つに暖簾分けしたという。

 

虎ノ門岡埜栄泉の初代はその一つ、末広町の「初祖 岡埜栄泉総本舗」で修業したようだ。そこから暖簾分け。

 

この総本舗は数年前に店を閉じてしまった。悲しい。

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ルーツ辿りは実にややこしい。なので、ここは一呼吸おいてから、目の前にある見事な技術の結晶をシンプルに味わうに限る。

 

所在地 東京・港区虎ノ門3-8-24

最寄駅 東京メトロ虎ノ門駅または神谷町駅 歩約6~8分

 

 

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浅草あんこ界の隠れ王者

 

あんこ好きにとって、京都が西の横綱なら、東の横綱は浅草だと思う。

 

上菓子屋より庶民的な餅菓子屋が多い、というのもちょっとうれしい。

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梅園の粟ぜんざい、亀十のどら焼き、徳太樓のきんつば、舟和のあんこ玉、長命寺桜もち、言問団子・・・と指折りきて、つい忘れがちになるのが、向島「志”満ん草餅(じまんくさもち)」である。

 

面白い屋号で、読みづらいが、150年もこの屋号で通しているので、今さら変えられない(多分変える気もない)。

 

ここの「草餅」と「ささ餅」が見た目は地味系だが、飛び切りなのである。

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餅の質はもちろんのこと、個人的な評価では、どちらもあんこの美味さがスカイツリーを超える、かもしれない(気持ちが入り過ぎて、表現がヘンになってしまったが)。

 

明治2年(1869年)創業。現在4代目。元々は隅田川沿いの茶店で、渡し船のお客を相手に草餅を出して、それが評判を呼び、現在も小さく白い暖簾を下げている。テイクアウトのみ。ほとんど店舗を広げない、というのも今どきの店とは一線を画す。

 

創業当時からの目玉が「草餅」(よもぎ餅)で、あん入り(1個 税込み145円)をまず食べてみる。

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よもぎの若芽だけを手作業で選り分け、丁寧に煮込み、搗(つ)きたての餅と合わせる。自家製のこしあんを手包みする・・・この職人芸が約150年も守られている。

 

添加物などは使用していないので、賞味期限は「本日中です」

 

経木(きょうぎ)を解くと、口に入れる前から、よもぎのいい香りが匂い立つ。

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餅の柔らかさと伸びが素朴で、手づかみで噛んだ瞬間、中のこしあんが3倍太ゴチックで波のように押し寄せてくる。

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このこしあんの美味さに驚く。渋抜きを抑えた濃い甘さで、塩気とのバランスがとてもいい。ありそうでないあんこ。

 

いくら言葉で表現しようとしても追いつきそうもない。素朴な洗練とでも言っとくか。

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もう一品、「ささ餅」(1個 同145円)はつぶしあんで、それがたっぷり、かぐや姫のように笹に巻かれている。こちらも3倍太ゴチックでガブリ寄ってくる。

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艶やかなつぶしあんの下には真っ白な、キメの細かい羽二重餅が隠れている。驚きの構成だと思う。

 

口の中のあんこ天国。

 

小豆は北海道十勝産を使用(多分えりも小豆)。

 

あんこが苦手な人には理解できないとは思うが、正直、ため息の連続で、食べ終えるのが惜しくなるほど。

 

オーバーな表現になっている自分に驚く。

 

もとい。これほどのよもぎ餅は、私の食べた中では奈良・葛城市「中将堂本舗」よもぎ餅くらいしか思い浮かばない。頭を振りふり、記憶を辿り続ける。

 

所在地 東京・墨田区堤通1-5-9

最寄駅 東武スカイツリーライン曳舟駅 歩約12分

 

 

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梅ヶ枝餅「あんこ比べ」

 

福岡・太宰府天満宮まで足を延ばした。

 

目的はむろんのこと、梅ヶ枝餅(うめがえもち)!

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「かさの家」が最も有名だが、あんこマニアとしては、ひまわりではなく月見草を探したい。本物は陰に隠れている、と思うからである。

 

で、地元の情報をかき集めた。その結果、たどり着いたのが「小山田茶店(おやまだちゃてん)」である。

 

観光客でにぎわう参道ではなく、天満宮本殿の裏手。ここまで来ると、観光客は少ない。

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「最近は表通りの参道ばかりメディアに取り上げられますが、全然わかってません。『小山田茶店』は梅ヶ枝餅元祖みたいなところで、創業が江戸時代までさかのぼります。何せこの店は唯一、太宰府天満宮御用達なんですよ」

 

福岡の和菓子好き友人がそう耳元でささやいた。

 

その梅ヶ枝餅(1個 税込み120円)がこれ。抹茶セットで550円なり。

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昔ながらの庶民的な茶店で、その入り口で、ややご高齢の男性職人さんが一丁焼きのたい焼きのように鮮やかな手つきで、梅ヶ枝餅を焼いていた。その焼き立て。熱々だが、これが一番美味い。

 

なので現地で食べるに限る。

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餅粉と米粉ブレンドした皮の外側はパリパリで、中は驚くほど柔らかい。キツネ色の焦げ目、少し羽根まで付いている。ツウによると、この羽根が梅ヶ枝餅の伝統的な形だそう。

 

さて、中のあんこ。洗練ではなく、素朴で甘め。塩気が強い。それがたっぷり。焼き職人さんに聞いてみると、小豆は北海道産で砂糖は上白糖を使用しているそう。たまたまだが東京・麻布十番「浪花家」と似たつぶしあんだと思う。

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もう一軒、参道の「小野筑紫堂(おのちくしどう)」梅ヶ枝餅(こちらも120円)をハシゴ。創業が大正11年と歴史は小山田茶店ほどではない。こちらも手焼きで、女性職人さんが慣れた手つきで焼いていた。

 

おっさんvsおばはん、という構図になるかもしれない(こじつけすぎ)。

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こちらは表に「北海道十勝産小豆 雅(みやび)を使用」とわざわざ書いてある。特に小粒なえりも小豆のこと。

 

ここのあんこが洗練されたつぶしあんで、小山田茶店のものよりも明るめ。きれいな風味で、甘さは控えめ。これは誰が食べても美味いあんこだと思う。

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外見はほとんど同じだが、中の個性が少し違う。あえて好みで判断すると、野暮ったい、多分昔からの小山田茶店の方に舌がスススと傾いていく。

 

へそ曲がりな舌。

 

わがままな舌。

 

観光協会によると、太宰府天満宮には約32店もの梅ヶ枝餅を提供する店がある。年々その数は減っているそう。これはいかん。

 

菅原道真公も泉下で悲しんでいるに違いない。

 

所在地 福岡・太宰府市宰府4-8-17

最寄駅 西鉄太宰府線太宰府駅から歩約6分

 

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蒸し菓子の到達点?「栗若瀬」

 

京都つながりで、蒸し菓子のちょっとビックリの逸品と出会ってしまった。それがこれ。

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これまで食べた中で、蒸し菓子の一つの到達点は私の中では萬年堂の上菓子「御目出糖(おめでとう)」だった。それは今でも変わらない。

 

別名高麗餅(こうらいもち)。こしあん、かるかん粉(米粉)、餅粉を混ぜ合わせ、独特のそぼろ状にしてから大納言小豆を載せて蒸し上げた逸品で、そのもっちりした上品な食感と口の中で溶けていくきれいな余韻は初めて食べたときに、

 

「こんなあんこ系の蒸し菓子がこの世に存在していたとは・・・」

 

オーバーではなく言葉を見失いそうになった。江戸時代からの製法のままと知って、さらに驚いた。

 

さて、ここからが本題

 

京都の畏友が東京に来た折りに手土産として、大阪の蒸し菓子を持って来てくれた。

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いつものように説明はない。ポンと手渡されるだけ。

 

それが「御菓子司 庵月(あんげつ)」の「栗若瀬(くりわかせ)」だった。ここは栗蒸し羊羹の名店としても一部で知られた存在。

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趣味のいい包みを解き、化粧箱に入ったハーフサイズ(税別 1200円)を取り出してからそっとまな板に載せ、付属品のナイフで切り分けてみた。

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高級な白小豆とかるかん粉をそぼろ状に蒸し上げた上菓子で、きれいに2層になっていた。和菓子界では「むらさめ」とも言う。上が明るい抹茶色、下がややクリームがかった白。

 

蜜煮した大栗が織り込まれていた。

 

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貴種を思わせる美しい蒸し菓子で、御目出糖によく似ているが、こちらは白小豆がベース。

 

口に運ぶと、かるかんの食感で、しっとりとしたそぼろ状が舌の上でさらさらと溶けていった。

 

御目出糖よりこちらの方が細かくて崩れやすい。

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白小豆のきれいな風味。もっちり感もあり、それは多分自然薯(じねんじょ)も使っているからだと思う。

 

品のいい甘さが舌に残る。きりっとした栗の存在も絶妙。

 

調べてみたら「御菓子司 庵月」の創業は慶応4年(1868年)だった。明治維新に切り替わる寸前の時期。

 

神戸・相生町「常盤堂」の屋号で創業し、太平洋戦争後にその芦屋店が心斎橋に移転し、店名も「庵月」に変えたこともわかった。

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のれんをあまり増やさないようで、畏友からいただくまでこの店の存在を知らなかった。

 

「本物は店舗を広げるようになったらもうお終いや。味が落ちるで」

 

烏丸御池の「亀末廣(かめすえひろ)」や松原通の「松壽軒(しょうじゅけん)」を愛する、へその曲がった畏友は以前そう言い放った。どちらもデパートなどからの出店の誘いを断り続けているそう。

 

「庵月」はそこまで行かないとしても、その領域に近いと思う。

 

今の時代、「亀末廣」の世界って針の穴の細道ではないかな? のれんを守るとはどういうことか、これは超難問だと思う。あんこの細道、その先の世界・・・。「庵月」はどうか? 

 

「栗若瀬」を味わいながら、それは半分以上当たってるかもなあ、と小さくつぶやくのだった。

 

所在地 大阪市中央区東心斎橋2-8-29

最寄駅 地下鉄心斎橋駅下車 歩約4分

 

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饅頭界の奇跡「粟まんじゅう」

 

粟饅頭、ひらがなで書くとあわまんじゅう

 

これがほっぺたが落ちるほどうめ~、と知っている人はまだ少ないと思う。

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粟(あわ)をもち米と混ぜて皮を作り、手作業でこしあんを包み込む。それを蒸し籠で蒸したものだが、この美味さは私にとっては格別である。

 

クチナシできれいな黄色に着色しているので、一見美味そうには見えないかもしれない。

 

だが、手にくっつくほどのモチモチ感と粟(あわ)の粒つぶ感、その中にしっかり収まったこしあんの融合・・・文字通り筆舌に尽くしがたい。

 

福島・会津地方、柳津町(やないづまち)に伝わるまんじゅうで、江戸後期からこの地方にしか存在ないユニークな饅頭である。

 

会津若松市内にも店舗がある小池菓子舗が最も有名だが、私の好みは「はせ川屋」のもの。昔ながらの丁寧できれいな作り方が好み。

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無添加なので日持ちしない。作りたては柳津町まで行かないと食べれない。それが残念。

 

東北に行った帰り、足を延ばすことにした。

 

蒸し籠の水蒸気が空に向かって立ち昇る古い店構え。昭和の匂い。

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一個108円(税込み)。さらにもう一品「栗(くり)まんじゅう」(一個 同183円)を店先で味わうことにした。お茶をサービスしてくれた。

 

蒸かし立てなので実に柔らかい。

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こしあんは雑味がない、甘さを抑えたきれいなもの。ほんのり塩気もある。

 

それが粒つぶ感のある粟(あわ)餅と絶妙に合う。そう表現するしかない。粟の風味。

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作りたては手にくっつき過ぎるのが難点だが、美味さが七難隠す、ということもある。

 

もう一品、栗(くり)まんじゅうの方が好きというファンも多い。

 

栗が一個丸ごと入った茶まんじゅうで、粟(あわ)まんじゅうより一回りデカい。手に持つとズシリと重い。

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こしあんは同じもの。こちらのレベルの高さも強調し過ぎることはないと思う。

 

二代目に先立たれてから女将さん(三代目になる)が毎日一人で板場に立って手づくりしている。手伝いは他に一人しかいない。ファンが多いので、あんこ作りも毎日欠かさない。

 

店の創業は昭和初期。町内に4軒ある粟まんじゅう屋さんの中では比較的歴史は浅い。

 

「小豆は北海道産だけんじょ、餅も粟(あわ)も地元のものを使ってる」

 

妙な愛想がないところが、饅頭職人としてのプライドを裏打ちしていると思う。

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約1200年の歴史を持つ古刹「圓蔵寺(えんぞうじ)」の門前近くに店を構える。

 

江戸時代、文政年間に火事があり、災害が続いたことで、当時の喝厳和尚が「これ以上災難にアワないように」という願いを込めて、門前の饅頭屋に「あわまんじゅう」を作らせた、という起源をもつ。

 

ダジャレみたいな起源だが、まんじゅうの美味さはもし「饅頭オリンピック」があったらノミネートしたくなるほど。きっとメダルが取れると思う。

 

ちなみにこの約8時間後、粟(あわ)まんじゅうを一箱(6個入り)を自宅に持ち帰って、その夜食べたら、もちもちの皮とこしあんがさらに馴染んでいて、美味さが進んでいた気がした。

 

所在地 福島・河沼郡柳津町岩坂甲180

最寄駅 JR只見線会津柳津駅歩約10分

 

 

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8代目が作る驚きの栗菓子

 

「あんこを求めて三千里の旅」で、信州・飯山市に足を延ばした。

 

「雪国の小京都」とも呼ばれるお寺の多い、人口2万人ほどのちいさな町だが、和菓子屋が多い。

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たまたまここに300年の歴史を持つ「御菓子処 京香屋(きょうこや)」の存在を知り、電話してみたところ、店主が出て、「8代目になります」とおっしゃった。「ただ古いだけですよ」とも。

 

大坂なおみのような、凄腕の和菓子職人のシャイを感じる話しぶりについつい引き込まれてしまった。

 

「そちらにお伺いしてもよろしいですか?」とお願いすると、しぶしぶ(?)「昔から作っているささ餅はシーズンが終わったので何もありませんよ。それでよかったらどうぞ」。

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この地方特有の雁木(がんぎ)づくりの屋根が続く光景は、どこかタイムスリップして、日本の原風景に紛れ込んでしまったよう。人通りは少ない。その一角に「御菓子処 京香屋」の看板がかかっていた。小さな和菓子屋。「創業三百年」の文字に頭がくらくらした。

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「栗大福もち」(税込み 1個120円)と「栗饅頭」(同140円)をそれぞれ3個ずつ買い求めた。

 

栗大福もちは日持ちがしないので、ホテルで食べることにした。

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大きくて、手に持つとズシリと重く、ツマヨウジでいただく。蜜煮した栗が丸ごと一個入っていて、つぶしあんがそれを包み、さらに柔らかな餅が包み込んでいた。一個一個手包みしているのがわかる。

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8代目の店主は謙遜したが、餅もつぶしあんもレベルが高く、栗とのマッチングは絶妙だった。つぶしあんはあんこ屋から生あんを仕入れ、銅鍋でそれに白ザラメを加え、じっくりと炊いていく。濃い素朴なつぶしあん。ボリュームも素晴らしい。

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「昔は生あんから作ってましたが、今は年なのでとてもできません」

 

正直に語る。とはいえ、ほとんど自家製で、和菓子職人としての腕は確か。

 

さらに驚いたのは「栗饅頭」だった。

 

日持ちは1週間なので、自宅に帰ってから食べてみた。

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こちらも大きい。高さもある。見事な大栗の形。東京・虎ノ門「丸万」の栗饅頭の2倍はある。それで1個140円とは・・・。

 

焦げ茶色(卵黄)のテカり。頂上にも蜜煮した栗がはめ込められている。ひと目でその姿に見入ってしまった。

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二つに割ると、白あんがぎっしり詰まっていた。北海道産手亡豆白インゲン)で炊いた白あんで、風味が強く、甘さが控えめ。ほんのりと塩気があり、その中心には蜜煮した栗がほとんど丸ごと1個入っていた。

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本物の栗饅頭とはこういうものを言うのではないか?

 

和菓子職人の手の匂いがする。

 

皮は薄くて、手でつかむと、ほくほくと崩れ落ちそう。

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絶妙としか言いようのない味わいで、かような和菓子屋さんが山奥のちいさな寺町で8代も続いていることに驚くしかない。

 

話し込むうちに、後継者に悩んでいることに気づいた。

 

「もう時代じゃないんでしょうね。息子が継いでくれるといいんですが、そう簡単には行かない。人も少ないし、これから先に和菓子屋が成り立つかもわからない。生活しなければなりませんからね。そりゃあ寂しいですよ」

 

かような和菓子屋がもし消えるようなことがあったら、これは日本の損失ではないか?

 

図書館3つ分の損失。いやそれ以上かもしれない。

 

心からそう思う。

 

所在地 長野・飯山市大字飯山3074

最寄駅 JR飯山線北飯山駅歩約5分

 

 

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きんつば界のシーラカンス

 

東京・日本橋というより、江戸・日本橋と言った方が正しいと思う。

 

ここに徳川の時代から暖簾を下げ続けているのが「榮太樓(えいたろう)総本舗本店」。

 

和菓子が好きな人でなくても、名前くらいは聞いたことがあると思う。

 

ここの金鍔(きんつばが凄すぎ、である。

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ちょんまげが行き交い、魚河岸が日本橋にあった頃、屋台で焼かれるきんつばが評判となった。

 

それがこの「名代金鍔(なだいきんつば)」(税込み 1個216円)のルーツである。

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安政4年(1857年)、三代目(幼名・栄太郎)の代になって、現在の場所に小さな店を構えた。屋号もそれまでの「井筒屋」から「榮太樓」に変えている。

 

同社によると、当時の作り方をほとんど変えていない。溶いた小麦粉(薄力粉)であんこを包み、それを銅板の上で焼く。

 

このどっしりとした面構え。改めて見ると、思わず正座したくなる。

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形は丸型で、つなぎに卵白を使った半透明の小麦の皮は膜のように薄い。ぎっしりと詰まったつぶしあんが透けて見える。黒ごまが上にかかっている。

 

皮の焼き加減は職人技で、よく見るとほんの少しだけキツネ色になっている。

 

敬意を表して、日本橋「さるや」のツマヨウジでいただくことにした。

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柔らかな皮。すぐ後から素朴なつぶしあんがストレートに口中に広がってくる。寒天は一切使われていない。

 

ほとんどあんこの塊と言えなくもない。

 

控えめな甘さと渋抜きを抑えた小豆本来の風味がたまらない。

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北海道十勝産えりも小豆をじっくりと煮込み、砂糖は上白糖。塩気が効いていて、目をつむると遠い江戸を感じさせる。

 

きんつばは元々は京都にルーツがあり、江戸時代中ごろに江戸に伝わってきたというのが定説。京都では小麦粉ではなく、米粉を使っていたようだ。名前も刀の鍔(つば)の形から「銀鍔(ぎんつば)」と呼ばれていた。

 

それが江戸に来ると、銀より金の方が縁起がいいや、という江戸っ子のシャレで、「金鍔(きんつば)」になった。

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きんつばは四角と思い込んでいる人には意外かもしれないが、元々は丸いのである。

 

個人的には浅草・徳太楼のきんつばが一番好きだが、榮太樓のきんつばは別格だと思う。(信州・飯田市にある「和泉庄(いずしょう)」の大きんつばも別格)

 

ちょっと高いのが難点だが、このきんつば界のシーラカンスに黙ってかしわ手を打つことにしよう。

 

所在地 東京・中央区日本橋1-2-5

最寄駅 東京メトロ日本橋駅歩約2分

 

 

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