「あんこを求めて三千里の旅」で、信州・飯山市に足を延ばした。
「雪国の小京都」とも呼ばれるお寺の多い、人口2万人ほどのちいさな町だが、和菓子屋が多い。
たまたまここに300年の歴史を持つ「御菓子処 京香屋(きょうこや)」の存在を知り、電話してみたところ、店主が出て、「8代目になります」とおっしゃった。「ただ古いだけですよ」とも。
大坂なおみのような、凄腕の和菓子職人のシャイを感じる話しぶりについつい引き込まれてしまった。
「そちらにお伺いしてもよろしいですか?」とお願いすると、しぶしぶ(?)「昔から作っているささ餅はシーズンが終わったので何もありませんよ。それでよかったらどうぞ」。
この地方特有の雁木(がんぎ)づくりの屋根が続く光景は、どこかタイムスリップして、日本の原風景に紛れ込んでしまったよう。人通りは少ない。その一角に「御菓子処 京香屋」の看板がかかっていた。小さな和菓子屋。「創業三百年」の文字に頭がくらくらした。
「栗大福もち」(税込み 1個120円)と「栗饅頭」(同140円)をそれぞれ3個ずつ買い求めた。
栗大福もちは日持ちがしないので、ホテルで食べることにした。
大きくて、手に持つとズシリと重く、ツマヨウジでいただく。蜜煮した栗が丸ごと一個入っていて、つぶしあんがそれを包み、さらに柔らかな餅が包み込んでいた。一個一個手包みしているのがわかる。
8代目の店主は謙遜したが、餅もつぶしあんもレベルが高く、栗とのマッチングは絶妙だった。つぶしあんはあんこ屋から生あんを仕入れ、銅鍋でそれに白ザラメを加え、じっくりと炊いていく。濃い素朴なつぶしあん。ボリュームも素晴らしい。
「昔は生あんから作ってましたが、今は年なのでとてもできません」
正直に語る。とはいえ、ほとんど自家製で、和菓子職人としての腕は確か。
さらに驚いたのは「栗饅頭」だった。
日持ちは1週間なので、自宅に帰ってから食べてみた。
こちらも大きい。高さもある。見事な大栗の形。東京・虎ノ門「丸万」の栗饅頭の2倍はある。それで1個140円とは・・・。
焦げ茶色(卵黄)のテカり。頂上にも蜜煮した栗がはめ込められている。ひと目でその姿に見入ってしまった。
二つに割ると、白あんがぎっしり詰まっていた。北海道産手亡豆(白インゲン)で炊いた白あんで、風味が強く、甘さが控えめ。ほんのりと塩気があり、その中心には蜜煮した栗がほとんど丸ごと1個入っていた。
本物の栗饅頭とはこういうものを言うのではないか?
和菓子職人の手の匂いがする。
皮は薄くて、手でつかむと、ほくほくと崩れ落ちそう。
絶妙としか言いようのない味わいで、かような和菓子屋さんが山奥のちいさな寺町で8代も続いていることに驚くしかない。
話し込むうちに、後継者に悩んでいることに気づいた。
「もう時代じゃないんでしょうね。息子が継いでくれるといいんですが、そう簡単には行かない。人も少ないし、これから先に和菓子屋が成り立つかもわからない。生活しなければなりませんからね。そりゃあ寂しいですよ」
かような和菓子屋がもし消えるようなことがあったら、これは日本の損失ではないか?
図書館3つ分の損失。いやそれ以上かもしれない。
心からそう思う。
所在地 長野・飯山市大字飯山3074