東京・日本橋というより、江戸・日本橋と言った方が正しいと思う。
ここに徳川の時代から暖簾を下げ続けているのが「榮太樓(えいたろう)総本舗本店」。
和菓子が好きな人でなくても、名前くらいは聞いたことがあると思う。
ここの金鍔(きんつば)が凄すぎ、である。
ちょんまげが行き交い、魚河岸が日本橋にあった頃、屋台で焼かれるきんつばが評判となった。
それがこの「名代金鍔(なだいきんつば)」(税込み 1個216円)のルーツである。
安政4年(1857年)、三代目(幼名・栄太郎)の代になって、現在の場所に小さな店を構えた。屋号もそれまでの「井筒屋」から「榮太樓」に変えている。
同社によると、当時の作り方をほとんど変えていない。溶いた小麦粉(薄力粉)であんこを包み、それを銅板の上で焼く。
このどっしりとした面構え。改めて見ると、思わず正座したくなる。
形は丸型で、つなぎに卵白を使った半透明の小麦の皮は膜のように薄い。ぎっしりと詰まったつぶしあんが透けて見える。黒ごまが上にかかっている。
皮の焼き加減は職人技で、よく見るとほんの少しだけキツネ色になっている。
敬意を表して、日本橋「さるや」のツマヨウジでいただくことにした。
柔らかな皮。すぐ後から素朴なつぶしあんがストレートに口中に広がってくる。寒天は一切使われていない。
ほとんどあんこの塊と言えなくもない。
控えめな甘さと渋抜きを抑えた小豆本来の風味がたまらない。
北海道十勝産えりも小豆をじっくりと煮込み、砂糖は上白糖。塩気が効いていて、目をつむると遠い江戸を感じさせる。
きんつばは元々は京都にルーツがあり、江戸時代中ごろに江戸に伝わってきたというのが定説。京都では小麦粉ではなく、米粉を使っていたようだ。名前も刀の鍔(つば)の形から「銀鍔(ぎんつば)」と呼ばれていた。
それが江戸に来ると、銀より金の方が縁起がいいや、という江戸っ子のシャレで、「金鍔(きんつば)」になった。
きんつばは四角と思い込んでいる人には意外かもしれないが、元々は丸いのである。
個人的には浅草・徳太楼のきんつばが一番好きだが、榮太樓のきんつばは別格だと思う。(信州・飯田市にある「和泉庄(いずしょう)」の大きんつばも別格)
ちょっと高いのが難点だが、このきんつば界のシーラカンスに黙ってかしわ手を打つことにしよう。