江戸時代のスイーツがどんなものだったか?
下町娘が、梅干しばあさんが、長屋のご隠居がこっそり舌鼓を打っていたのはどんな味だったのか? 江戸詰めの侍や殿様もいたかもしれない。
この空想が実に楽しい。
その答えの一つが浅草「梅園(うめぞの)本店」の「あわぜんざい」にある。
これが悔しいくらいに、めちゃ美味い。
へそ曲がりのサガ。観光客でにぎわう行列店なので足が遠のくはずが、ここの「あわぜんざい」だけは別である。
一杯が777円(税込み)と割高だが、漆のお椀のふたを取ると、粟餅(あわもち)の黄色と、こしあんの濃いテカリが3D映画のようにガブリ寄ってくる。
目と鼻と舌が同時に白旗を上げる。
こしあんの美味さが昔と変わらない。
こってり感とドンピシャのほどよい甘さ、それに小豆のきれいな風味が折り重なって押し寄せてくる。ほんのりとした塩加減も効いている。箸休めの紫蘇の実の塩漬けも気が利いている。
使っている小豆は多分北海道産。砂糖はコクから見て上白糖をベースにしていると思う。江戸時代は素材の産地は今とは違うと思うが、美味さはそう変わらないはずである。
ところで、この「あわ」だが、実はあわ(粟)ではなく、きび(黍)を使っているのは知る人ぞ知る話である。なので、正確には「きびぜんざい」が正しい。
あわが希少になり、途中からきびを使うようになったようだ。
それを半搗きし、練り上げ、蒸篭で蒸したもの。手間ひまかけた作り方は初代からほとんど変わらないそう。
見た目も風味もほとんど変わらない(私もわからなかった)。
普通の餅よりも若干クセがあるが、このクセが独特のうまみにもなっている。
何よりもたっぷりと覆った濃厚なこしあんとの相性が絶妙だと思う。
1×1=3の世界。
きび餅の柔らかな伸びとコクのあるこしあんが絡むと、あまりに官能的で、あんこ界のアルゼンチンタンゴとなる。いや、待てよ、あんこ界の都都逸(どどいつ)かもしれない。
創業が安政元年(1854年)。浅草寺の別院「梅園院」近くで茶屋として始まった。屋号もそこから来ているようだ。遊郭もすぐ近くにあった。現在7代目。
「あわぜんざい」は初代が考案し、作り方は代々相伝されている。基本的に創業当時と変わらない作り方と味わいを守っているそうで、つまり、私がいま食べているものも江戸時代末期の味わい、ということになる。
これは凄いことでもある。江戸人の舌にも驚かされる。
京都「粟餅所 澤屋」と比べると、希少という意味では京都に軍配が上がるが、浅草も頂点の一つに挙げたくなる。
空想が止まらない。困った。
所在地 東京・台東区浅草1-31-12
最寄駅 浅草駅から歩約2~5分