週刊あんこ

和スイーツの情報発信。あんこ界のコロンブスだって?

杜の都の絶品「づんだ餅」

 

「づんだ」は和スイーツの新しい流れだと思う。

 

小豆ではなく、枝豆を搗(つ)いて、そこに砂糖を加えたもの。搗くから転じて「づんだ」と呼ばれるようになったようだ。「ずんだ」とも表記されるが、本来は「づんだ」が正しいと思う。

 

いわば枝豆のあんこ。東北地方では餅にしたり、おはぎにしたり。その美味さは格別なものがある。

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あの戦国武将・伊達政宗も「づんだ」のファンで、その記録も残っている。

 

その中心地が仙台で、全国展開している「ずんだ茶寮」はじめ、づんだスイーツを出す店が多い。

 

その中で、おそらく頂点に位置するのが「餅専門店 村上屋」である。

 

店舗を広げず、青葉城近くの北町で「づんだもち」の暖簾を守り続けている。

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創業は明治10年(1877年)だが、明治以前は伊達藩御用達の菓子司だった。現在の当主は四代目。

 

うぐいす色の暖簾をくぐり、店内に入ると、生菓子や餅菓子がきれいに並べられている。

左手にテーブル席があり、そこで作りたての「づんだ餅」を食べることができる。

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「づんだ餅」(税別610円)と「三色餅」(づんだ、ごま、くるみ 同640円)を頼んだ。

 

天目の器に収まった「づんだ餅」は、きめ細やかなづんだが自然な美しさで、搗きたての餅を覆っていた。箸休めの漬け物も気が利いている。

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最初のひと口でその洗練された美味さにしびれた。

 

きれいで抑えられた甘み。ほのかな塩加減。餅のしなやかさ。風味も味わいも絶妙な調和という他はない。

 

よく口にする「ずんだ」とは、舌触りが違っていた。きめ細やかさのレベルが数ランク違う。

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不思議に思って女将さんに聞くと、「枝豆の薄皮を一枚一枚取り除いてから、ていねいに搗いているんですよ」という答えが返ってきた。鮮度を保つために冷たくもしている。柔らかな餅との絶妙な融合。職人芸の世界。

 

むろん、洗練よりも野暮が好みというのもある。スーパーなどで売られている「ずんだおはぎ」や「ずんだ餅」の野暮ったい美味さも悪くはない。

 

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だが、ここでしか味わえない「づんだ餅」はやはり素晴らしい。

 

三色餅のごまとくるみの美味さも特筆ものだと思う。特にくるみは甘さと塩加減が絶妙で、その口中に広がる風味に正直驚かされた。

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京都・北野天満宮「澤屋」や奈良・当麻寺「中将堂本舗」など、時代の波に流されずに暖簾を守り続ける店は貴重だと思う。

 

村上屋もその系譜に名を連ねている。

 

「でも、後継者がいないんですよ。これからが大変です」(事情通)

 

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どこかの首相とそのおバカな夫人に言いたい。あんなインチキ籠池などに訳の分からない対応をするより、国宝級の小さな和菓子屋さんに目配りしろ、と。

 

所在地 仙台市青葉区北町2-38

最寄駅 JR仙台駅西口から歩15~20分

 

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「よもぎ餅」訪ねて三千里

 

夢にまで見た、幻のよもぎ餅・・・。

 

京都に住む友人から、その存在を知ったのは3年ほど前。彼が上京した折に、わざわざ手土産に持ってきてくれた。

 

賞味期限はその日中ということだったので、夜、みんなで折詰を開けると、瑞々しいあんこで覆われた、見事なよもぎ餅が整列していた。

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何よりその美味さが、京都・北野天満宮そば「澤屋」の粟(あわ)餅に匹敵していた。

 

このよもぎ餅こそ奈良・葛城市当麻寺(たいまでら)に暖簾を下げる中将堂本舗の「中将餅」だった。

 

場所が極めて不便で、奈良駅からさらに近鉄線で1時間以上も入らなければならない。

 

去年秋、仕事で京都に行ったついでに、意を決して、足を延ばすことにした。

 

近鉄線に揺られ、ようやく当麻寺駅で降りると、正面奥に「よもぎもち」の白い暖簾が見え、「中将堂本舗」の古い建物が見えた。よもぎ餅を訪ねて三千里、の気分。

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暖簾分けなどしていないので、作りたてはここで食べるしか方法がない(クール便で郵送もしてくれるが)。

 

午後には売り切れてしまうことも多いと聞いていたので、事前に二人前(煎茶付き一人前2個 税込み300円)を予約しておいた。

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テーブル席に腰を下ろして、こしあんが乗っかったよもぎ餅を黒文字で口に運ぶ。

 

きれいな、甘さを抑えたこしあん。北海道十勝産小豆に丹波大納言小豆も少し加えているとか。

 

よもぎ餅は葛城の里に自生したよもぎを使用した自家製。その柔らかさと風味。

 

口中に春のそよ風が小さく渦を巻くよう。

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あっという間に4個平らげて、さらに2個追加した。追加分は1個80円。合わせて620円ナリの至福の時間が流れる。きれいな時間。

 

ふと3年前に食べた同じよもぎ餅の方が濃厚だった気がした。

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ひょっとして搗(つ)きたて、作りたてよりも数時間置いた方が味に深みが出るのか?

 

あるいはよもぎの時期が春なので、3年前がちょうど春だったことにも関係があるかもしれない。

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伊勢の赤福にも似ているが、それよりも手づくりのこだわりがある。

 

創業が昭和4年(1929年)で、現在の当主は三代目。昔からこの地方にある「あんつけ餅」を茶店で売り出したことが始まりとか。

 

女性職人たちが搗きたてのよもぎ餅を手でひねって、そこにヘラでこしあんを付けていく。隣りではあんこ作り。天国に一番近い場所。

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その見事な手さばきを眺めながら、幻のよもぎ餅を味わう。

 

奈良時代から当麻寺に伝わる中将姫伝説を思いながら、約3年にわたる想いが成就しつつあることに目を閉じたくなった。あんこ馬鹿のサガ。時よ、止まれ・・・。

 

所在地 奈良県葛城市當麻55-1

最寄駅 近鉄南大阪線当麻寺駅

 

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最高峰どらやきの隠れ家

 

どら焼きの名店「うさぎや」には三系統ある。

 

初代が大正2年(1913年)に創業した東京・上野、その三男が始めた日本橋、初代の長女が始めた阿佐ヶ谷。

 

見た目はほとんど同じだが、それぞれ作り方も味わいも微妙に違う。

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根っこは同じなのに、それぞれ「経営も別です」と素っ気ない。

 

中でも一番の好みは「日本橋 うさぎや」のどらやきである。

 

一個200円。だが、午後買いに行くと、売り切れていることも多い。

 

だが、この日本橋うさぎやのどら焼きをゆっくりと楽しめる穴場がある。それが今回ご紹介する、お茶と海苔で有名な日本橋山本屋本店の喫茶室である。

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「おすすめ煎茶セット」(税込み400円)で、どらやき一個と日本茶をそれなりに優雅に楽しめる。日本橋でこのコスパはまさかの世界、だと思う。

 

数年前に老舗出版社の編集者に教えてもらったのが初めて。

 

その時はさすが渋いところを知ってるなあ、と脱帽した。

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それ以後、折に触れて利用させてもらっている。お茶というよりもうさぎやどらやきを楽しめる隠れスポットとしてだが。

 

日本橋うさぎやどらやきは、スポンジ皮のふっくら感としっとり感が素晴らしい。卵とハチミツの香り、それに甘めのつぶしあんがとてもいい。絶妙としか言いようのないバランス。

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大納言小豆と思えるほどの粒の大きさ、柔らかな風味、ボリューム。

 

上野は水飴、阿佐ヶ谷はみりんを加えていて、それが特徴でもあるが、日本橋はあんこを炊くときに、そうした隠し味を加えていない。

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その分、小豆本来の風味がストレートに伝わってくる。北海道十勝産小豆と砂糖だけ。塩も使っていない。しっとりとした、きれいな甘み。

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上野や阿佐ヶ谷も高いレベルで、どの店も大きさは普通のどら焼きよりひと回りはデカい。直径9.3~10センチ、厚みは3~3.5センチほど(誤差はある)。

 

だが、日本橋はあんこの質とボリュームという点でも鼻差抜けていると思う。微妙な違いかもしれないが、この微妙な2~3ミリがこだわりでもある。

 

手に持った時の重みを一番感じる。

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これをかつて江戸の中心だった場所でゆったりと味わう。

 

正確に言うと、「おすすめ煎茶セット」は喫茶室の前のスペースで食べなければならないが、いずれにせよどら焼き好きにとって、ここは意外な隠れ家だと思う。

 

恋人と密会するように、甘い妄想を膨らませながら、ここで至福の時を過ごすのも、そう悪くはない。

 

所在地 東京・中央区日本橋2-10-2

最寄駅 東京メトロ日本橋

 

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「巨大あんぱん」の謎

 

あんこ界において、あんぱんは特別な存在だと思う。

 

オーバーではなく、明治維新後の傑作の一つだと思う。

 

今ではほとんどの人がそんなことは考えないで、普通に食べているが、あんぱんはカツ丼やカレーライスとともに、日本が生んだ食文化における

 

コロンブスの卵

 

であることは、多分間違いない。いかんいかん。肩に力が入ってしまった。

 

ザンギリ頭の時代に、パンとあんこをくっつけちゃうとは、当時はピコ太郎のPPAP以上の驚きだったと思う。

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そのあんぱんの中でも、さらに驚きのあんぱんが、東京・大島のパン屋「メイカセブン」のあんぱん、である。

 

知る人ぞ知る「巨大あんぱん」で、大きさはもちろんのこと、あんこの量が想像をはるかに超える。

 

パン生地の厚さはせいぜい2~3ミリほどで、あんこの塊を薄いパンの膜がやさしく包んでいるような印象。あんこが神々しく透けて見える。

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こしあんとつぶあん、2種類あり、1個185円(税込み)。

 

大きさは測ってみると、直径が7~8センチ、高さは5~6センチほど。重量は約250グラム。

 

「メイカセブン」の創業は昭和33年(1958年)。その当時の作り方を60年近く変えていないというのだから、これはもはや脱帽するしかない。

 

こんなお化けみたいなあんぱんが、東京の下町にずっと息づいていたことに改めて驚かされる。

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メディアに取り上げられるようになって、人気に火がついてしまった。

 

今では開店と同時に売り切れてしまうこともある。こしあんとつぶあん、それぞれ一日200個しか作らないというのも徹底している。

 

さて、問題は味。パン屋なのでパンは普通においしい。焼き色も素晴らしい。

 

だが、あんこは?

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こしあんは甘さが控えめで、それなりの美味さ、と表現するしかない。残念ながら、小豆の風味があまり感じられない。工場のあんこをギッシリつめたような印象。そこがまた魅力なのだが。

 

つぶあんの方が好みに近い。こちらは濃厚さがプラスされる。

 

この小豆が謎に満ちている。あんこの謎。

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「金沢のあんこ屋さんから仕入れています」

 

店の人に聞いても、これ以上の情報はない。

 

これだけ大量のあんこをこれでもか、と詰めたあんぱんが185円とは凄すぎる。下町のパン屋さんの心意気もぎっしりと詰まっているということなのかもしれない。

 

あんぱんの元祖、東京・銀座「木村屋総本店」の洗練されたあんぱんとは対極に位置するあんぱんの重み。

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1個を一人で食べるにはあんこ好きでも相当の気力が必要。なので、1個を何人かで切り分けて食べることをお勧めしたい。

 

パラダイスはみんなで分け合うことが大事

 

ということを思わせてくれる、あんこ好きにとっては稀有なあんぱん、であることは間違いない。

 

 所在地 東京・江東区大島7-2-1 

最寄駅 都営地下鉄新宿線大島駅

 

 

 

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神楽坂の絶妙「餡豆かん」

 

あんこ好きにとって、東京・神楽坂の甘味処「紀の善(きのぜん)」は欠かせない店の一つ。

 

甘味屋としての創業は1948年(昭和23年)だが、明治維新後に寿司屋として創業している。幕末には口入れ稼業(今でいうと人材派遣業)をしていたらしい。

 

神楽坂は元々が花街で、ピーク時ほどではないものの、神楽坂芸者は現在も活躍している。夕暮れ時などにぶら歩きすると、京都の花街のような風情が何とも言えない影絵の世界を作る。

 

今では観光地としても人気スポットの一つ。外国人観光客の姿もよく見かける。

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「紀の善」の一番人気が「抹茶ババロア」で、自家製粒あんと生クリームとのコラボが素晴らしい。高価な丹波大納言小豆を使っているというのも、粒あんに賭けるこの店のこだわりが見て取れる。

 

だが、今回取り上げるのは、「餡(あん)豆かん」(税込み874円)である。

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こちらのあんこはこしあん。自家製の赤えんどうの上にどっかと乗っているこしあんは北海道十勝産小豆を使用、色は濃厚な粒あんとはまるで違っていて、藤紫色に近い。

 

口に運んだ途端、きれいでさらりとした食感。甘さも控えめで、風味もさわやか。

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粒あんほどではないが、こちらの完成度も高い。何よりその下に広がる赤えんどう豆と寒天がいい。きりっとした寒天は伊豆七島テングサ、赤えんどう豆はおそらく北海道産のものを丹念に炊き上げている。

 

黒蜜をかけて食べると、赤えんどう豆がとてもいい。固めだが、中はほどよくふっくらとしていて柔らかい。

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こしあんは中心に位置していながら、脇役に徹しているよう。全体的に絶妙なハーモニーだと思う。

 

だが、こと豆かんに関しては、浅草の「梅むら」の方が一枚上手と思う。黒光りした、まるで黒真珠のような赤えんどう豆で、見た目も味わいもおそらく日本一だと思う。

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3年ほど前、「梅むら」で豆かんてん(こちらではこう呼んでいる)を食べていた時に、たまたま隣に座っていたスイーツ紳士と雑談となり、「あなた、神楽坂の『紀の善』の豆かんも食べたらよろしい」と言われた。

 

それが頭にあったので、今回は「餡豆かん」を賞味した、というわけ。

 

どちらも高いレベルの豆かんには違いない。

 

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ただ一つだけ「紀の善」にお願いしたいのは、こしあんと粒あんを選択できるようにしてほしいこと。

 

昼間の行列は仕方がないにしても、あんこ好きにとっては、これは重大問題なのである。

 

所在地 東京・新宿区神楽坂1-12

最寄駅 JR飯田橋駅東京メトロ飯田橋駅

 

 

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あんこ界のビヨンセ「大きんつば」

 

あんこ好きには、上質のきんつばはミューズ(女神)だと思う。

 

あんこ界のビヨンセ、と呼びたくなるほど。

 

日本三大きんつばを挙げろと言われれば、一に東京・浅草の徳太楼、二に大阪・出入橋、三に金沢・中田屋を挙げたい。

 

江戸時代・安政4年創業の「榮太楼本舗」のきんつばも別格として存在している。その他にも隠れた逸品があるかもしれない。

 

と書いたところで、驚きの大きんつばに出会ってしまった。

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東京・東銀座の歌舞伎座タワー地下2階を散策中に、奥まった場所にそのきんつば屋が実演販売していた。

 

きりっとしたきんつば職人さんが鉄板で淡々と焼いていた。いい風情だが、場所が目立たない。

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その名も「いろはきんつば」。一個210円(税込み)だが、つい最近値上げしたようだ。

 

その大きさと形。円形で普通のきんつばより優に二回りはデカい。その素朴な焦げ目と焼き色が江戸時代のきんつばを思わせる。

 

中央部に刀の形の凹みを付けている。確かに江戸時代の原きんつば

 

ここでは「いろはきんつば」の名前で売られているが、本店は長野・飯田市の「菓子処 和泉庄(いづしょう)」だとわかった。そこでは「名代 大きんつば」の名前で、長いながい歴史を持っていることもわかった。

 

創業が文政元年(1818年)で、初代から一子相伝で大きんつばを作り続けている。

 

お土産に買って帰り、家で食べたら、その素朴な美味さにため息が出かかってしまった。

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薄い皮、その中にぎっしりと詰まったつぶしあん。その驚きのボリューム。

 

大きさを測ってみたら、直径が6センチほど。厚さが2・7センチもあった。

 

寒天が一切使われていず、つなぎは少量の水飴だけ。

 

ひと口で、タイムスリップした気分に襲われた。

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甘さがかなり抑えられていて、上質のふくよかなつぶしあんを、そのまま賞味しているような素朴な味わい。柔らかな小豆の風味がとてもいい。塩気はほとんど感じない。

 

小豆は北海道十勝産を使用、砂糖は白ザラメ。添加物などはむろん使用していない。

 

あんこの魅力が全開したかような、かようなきんつばが存在していたこと、それをこれまで知らなかったことが悔しい。恥ずかしい。穴があったら入りたい。

 

 

焼き立てを少し冷まして食べるのが美味いが、冷えてからでも味わいは衰えない。

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きんつばは江戸時代中期、京都で誕生している。京都では刀の鍔(つば)と形が似ていることから銀つばと呼ばれ、あのうるさい京雀に愛されていた。

 

それが江戸に伝わって、「銀より金の方が縁起がいい」という理由で、「金つば」となったようだ。

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現在の角型のきんつばは明治以降に誕生したもの。

 

「和泉庄」は現在七代目で、八代目も修行中とか。

 

本店以外で焼き立てを食べれる場所は、ここ歌舞伎座タワー地下2階しかない。

 

それなのに奥まった、目立たないところで細々と焼いている。これがどれほどの凄いきんつばなのか、ほとんどの人が知らない。

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あんこが苦手な人にはどうでもいいことかもしれないが、あんこ好きにはこの事態はあまりに悲しすぎる。

 

書いているうちに、あんこ界の隠れビヨンセにまた会いに行きたくなった。

 

所在地 東京・銀座4-12-15歌舞伎座タワーB2「お土産処 かおみせ」内

最寄駅 東京メトロ銀座駅

 

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秀吉が自慢した「紅煉り羊羹」

 

今でこそ煉り羊羹(ねりようかん)といえば、虎屋だが、それは明治以降の話。

 

虎屋はそれ以前は饅頭(まんじゅう)の方が有名だった。

 

では煉り羊羹の元祖は?

 

それが驚いたことに、安土桃山時代に行きつく。時は秀吉の時代。

 

大茶会で使うため関白秀吉が当時の鶴屋(五代目岡本善右衛門)に、それまでの蒸し羊羹とは違う「皆の衆が驚くような羊羹を作れ」と命じた。(直接現場を見たわけではないので、半分色が付いてしまう)

 

それが京都・伏見の鶴屋(徳川の世になって鶴屋から駿河屋に改名)が苦心惨たんして作り上げた「紅煉り羊羹」だった。

 

鶴屋は創業がなんと寛正2年(1461年)の超老舗。

 

紅色の羊羹とはちょっと凄すぎじゃないか?

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それを再現したのが、総本家駿河屋の「古代羊羹」(紅煉り)。大納言と半棹2本セットで1450円(税別)。

 

竹皮の包みを取ると、表面が白く砂糖化した濃い紅色の羊羹が現れた。

 

こんな羊羹、あまり見たことない。

 

白インゲンに着色したものだが、寒天と和三盆などを使用している。

 

色は当時も紅色で、同じような見た目だったかもしれない。

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居並ぶ武将やお公家さんが驚いた光景が目に浮かぶ。秀吉のしてやったりの表情も。前田利家が悔しがり、加賀に戻ってから、密かに「あれに負けないものを作れ」と命じたことも伝えられている。

 

当時はまだ寒天が発明されていなかったので、紅色でも蒸し羊羹に近かったという説も根強い。砂糖もほとんど輸入に頼っていたようで、かなり高価だった。

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包丁で切って黒文字で食べると、表面の砂糖化した膜にひびが入り、ガサっとした歯ごたえが何とも言えない。

 

羊羹自体は甘さを抑えていて、あっさりした、味わい。虎屋のようなねっとり感はない。白あんの風味が滲み出てくる。

 

ここからがややこしい。鶴屋時代から数えると、550年以上続いた駿河屋はトラブルが相次ぎ、平成24年に経営破たんしてしまった。

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現在の総本家駿河屋はその後、新しく再建されたもの。

 

江戸時代に暖簾分けを繰り返していたので、関西には「駿河屋」の暖簾がいくつかある。

 

伏見・油掛町には天明元年(1781年)に十代目岡本善右衛門から分家した「駿河屋本店」がある。こちらは暖簾をしっかり守り続けたようだ。

 

地元の伏見っ子の多くはこちらを「ほんまの駿河屋」と呼んでいて、京町にある「総本家伏見本舗」を「新しくできはったとこ」と言っているようだ。

 

こちらも紅煉り羊羹を再現していて、「昔のまま」という名前で作って売っている。こちらはインゲン豆ではなく、希少な白小豆を使っている。砂糖も和三盆。

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五代目善右衛門が心血を注いで作り上げ、その後改良を加え、やがて現在のような砂糖と寒天を使った煉り羊羹になって行ったという経由が正しいのではと思う。一方で、江戸日本橋発祥説も根強い。(京都はこれを認めていないようだ)

 

煉り羊羹の歴史、力が入り過ぎて少々ややこしい話になってしまったが、伏見城のあった伏見をブラ歩きしながら、紅煉り羊羹を巡る壮大な物語をつい思ってしまった。

 

ウンチクが多くなってしまったが、羊羹に免じて、ご勘弁ください。

 

所在地 京都市伏見区京町3ー10

最寄駅 京阪本線伏見桃山駅

 

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