目的の一つだった栗蒸し羊羹をついにゲットすることができた。
京都に来たら、やっぱりここは外せない。
御菓子司 亀末廣(かめすえひろ)。
創業が文化元年(1804年)。現在7代目(8代目も修業中)。
敷居が高そうな外観だが、実際はむしろ敷居が低い、と思う。
京都でも今では数少ない、ほとんど江戸・明治のまま、一対一の対面販売にこだわり、お客とのやりとりを大事にする。
表屋造りの建物も時間が止まったままのよう。
フツーならありえない世界がここにもある。
〈タイムスリップ〉
長暖簾をくぐり、照明を落としたレトロな店内に足を踏み入れると、自分が一体いつの時代のどこにいるのか、わからなくなる(ホントです)。
ここは江戸時代の京か?
店員さんの対応も腰が低く、気さくで、しかも無駄がない。
次第に目が慣れてくる。あった! 栗蒸し羊羹のスーパースターのお姿が・・・いや横綱格と言った方がいいかもしれない(個人的な思い入れですが)。
予約せずに、運試しとばかりに開店と同時に敷居をまたいだので、ゲットできるかどうか不安だった。
私にとっては、ある種、幻の栗蒸し羊羹だった。
季節限定で、毎年丹波新栗のシーズン約1か月間しかつくらない。
菓名も「竹裡(ちくり)」。渋すぎる。
京菓子本流の伝統に正座したくなる(勝手にしてください)。
・ゲットしたキラ星
竹裡 1棹 3800円(税込み)
季節の上生菓子二品(日持ちしない)
紅葉きんとん 430円(同)
山里 490円(同)
【センターは?】
究極の素朴、野蛮と紙一重、京都のスゴ技
ごらんの通りの重厚な容姿。
厚みのある竹皮と土(竹林)の香りが立ち上ってきそうな、一見すると、洗練とはほど遠くさえ見える。
全体のサイズは約210ミリ×50ミリ。厚みは35ミリほど。重量は竹皮込みで約320グラム。
すぐに竹皮を取ろうとしてはいけない。
説明書きに「竹皮のまま2センチ位に切ってから皮をむきお召し上がりください」とある。
なので、包丁をしっかり持って、作法に従って竹皮をザクリと切る(ホントに音がする)。
本体が現れる。断面を見る。すごい。
丹波のデカい新栗が密集するように合わさっている。
蒸し羊羹が月夜の闇のようにも見える。主役と脇役のディープな関係。
新栗は妙に黄色すぎず、ネイチャーのままのよう。
栗蒸しはそれなりに食べている方だと思うが、この野生感は想像を超えている。
菓子楊枝(ようじ)でひと口。
蒸し羊羹部分は深い小倉色で、竹皮の筋が美しい。
小麦粉と本葛も使っているのに、相対的にこしあん力の強さが印象的。食べた瞬間、竹皮の香りとともにいい小豆の風味がふわりと広がる。
ザラメを使った上品な甘さ。甘すぎない。
何よりも驚かされるのは丹波の新栗。
柔らかさを期待すると裏切られる。
これまで食べたものとは食感が違う。この固めの食感は何だ?
ひと噛み、二噛み・・・旬の丹波栗の風味が押し寄せてくる。
それでいて、余韻がほっくり。
蜜煮した柔らかな栗に慣れた舌にはむしろ違和感さえ感じる・・・それが周到に計算された、亀末廣の伝統のワザだとわかるまで数秒ほど要する(私は反応が遅いので)。
蒸し羊羹部分の柔らかさ×対極の食感、その歯触りと舌触り。
しばらくその絶妙を楽しむ。
高貴と野性の晩秋におけるマッチング。
横綱というより、勝手な妄想だが、ソロデビュー時のビヨンセが近いかもしれない(ハズしたかも)。
大胆にして細心・・・「亀末廣」は干菓子も有名だが、素材をここまで生かした栗蒸しはそうはない、と思う。やっぱりすごいと言わざるを得ない。
もう少し安いとありがたいのだが、それは野暮というものだろう。
【セカンドは?】
●紅葉きんとん(写真右)
これも季節の上生菓子で、表面のあんこ(もみじ餡)は白小豆を炊き、クチナシなどで着色している。中が大納言小豆のつぶあん。甘さは控えめ。上品で深いコクがスーッと融けていく。
●山里(写真左)
これもこの季節だけ。見た目は真っ黒。包丁で切ってみたら、核の部分が黄色っぽい餅(粟餅)で、それを上質なこしあんが包み込んでいる。さらに栗も丸ごと。さらにさらに表面には黒糖羊羹がコーティングされている。すごワザ。食べながら食べるのがもったいない、そんな気分になった。
「御菓子司 亀末廣(かめすえひろ)」
所在地 京都・中京区姉小路通烏丸東入ル
最寄り駅 地下鉄烏丸御池駅下車 歩約3分