編集長「デルタ株で明け、オミクロンで終わりそうな令和3年になったけど、週刊あんこ的にはあんこに明け、あんこに暮れた年になった」
あん子「いつものことでしょ? こんな時代にあんこ三昧なんて甘すぎます(笑)」
編集長「でも和菓子屋さんの状況を考えると、落ち着いてはいられない。ささやかだけれど、あんこの素晴らしい世界を地味に発信し続けるしかない。年内の発信は今日でお終い。なので、締めは『阿佐ヶ谷うさぎや』にしたよ」
あん子「別格のどら焼きね。うさぎやは上野、日本橋、それに阿佐ヶ谷。みんなルーツは黒門町(上野)でしたね。確か初代の息子さんと娘さんが暖簾分けしてるのよね」
編集長「おっ、よく知ってるね。それぞれ独立していて、作り方も味わいも少しずつ違うんだ」
あん子「編集長の好みは確か日本橋、上野、阿佐ヶ谷の順だったですよね」
編集長「でも、今回、久しぶりに阿佐ヶ谷に行って、ちょっと見方が変わったよ。こだわりの強い上生菓子も作っていて、しかも対面販売にこだわってる。いい仕事、してるなあってね」
あん子「どういう意味ですか?」
編集長「職人さんのレベルがとっても高いと思う。目玉のどら焼きも日本橋や上野に比べてちょっぴり小ぶりだけど、きっちり作っていて、以前は感じなかった感動を覚えちゃった」
あん子「その他にもいろいろあるんでしょ? 早く食レポお願いいたしまーす」
・今回ゲットした」キラ星
どら焼き5個(箱入り)1300円(税込み)
きんつば 1個216円(税込み)
栗むし羊かん 1個313円(税込み)
【本日のセンター】
完成度にうるうる、どら皮とつぶあんの恋愛
うさぎやの創業は大正2年(1913年)。上野黒門町に初代谷口喜作が暖簾を下げたことから始まっている。「うさぎや」の屋号は初代喜作が卯年に誕生したことからのようだ。
その長男(二代目)が跡を継ぎ、さらに三男が暖簾分けして日本橋うさぎやを開業。阿佐ヶ谷は娘さんが暖簾分け。黒門町の和菓子職人を招いて西荻窪⇒阿佐ヶ谷と繋いでいったようだ。
なので、阿佐ヶ谷うさぎやの歴史は一番新しい(昭和32年)。
だが、その分、江戸・京都の上菓子屋につながるような、こだわりの強い店づくりしたとも言えるのではないか。
どら焼きはもちろんのこと、上生菓子や季節の和菓子をこじんまりと対面販売で作っている。
常連客が絶えることなく、いつも賑わっているのが素晴らしい。
まずはどら焼きから賞味してみた。
箱から取り出し、包みを取ると、いい香りとともに見事なきつね色(淡い)が現れる。
縁が貝のようにぴったりと閉じられ、ふっくらしたどら皮。
大きさは直径約93ミリ、真ん中の厚みは約33ミリ。重さは113グラムほど。
どら皮には小麦粉や卵、ハチミツなどの他に味醂(みりん)も隠し味にしていて、これは上野や日本橋にはない作り方。
しっとりしていて、しかももっちり感もある。
中のあんこはふっくらと炊かれた大粒のつぶあんがたっぷり。
甘さは控えめ。いい小豆の風味が口中に広がる感覚は得難いレベル。
塩気がほんのり。
それらが口の中で絡み合い、溶けていく。
あんこ職人の腕とどら皮職人のレベルはかなりのもの、と思う。
素晴らしきどら焼き。
以前よりも阿佐ヶ谷うさぎやに一目置きたくなった。
【サブはきんつば】
これはちょっと驚いた。
幕末から続く日本橋榮太樓の名代金鍔(なだいきんつば)とほとんど同じ、江戸前のきんつばの形。
手焼きの焼き色がどこか凸凹していて、一目で「こりゃあ、うめえだろうな」と思った。
日本橋榮太樓よりも色が淡い。
中のあんこは潰しあんで、サラッとした食感。
塩気が強め。
寒天の気配はないが、ひょっとして葛粉を加えているかもしれない。
口どけの良さに粋を感じた。
【おまけは栗むし羊かん】
これも上質の栗蒸しで、濃い藤紫色の蒸し羊羹に蜜煮した栗が砕かれた状態で閉じ込められている。
表面に寒天の膜。
上質のこしあんと小麦粉(葛粉も?)がいい具合で溶け合い、そこに栗がきれいな歯ごたえで、「どうでありんすか?」と迫ってくる感じ。
塩気が強めなのは江戸⇒東京の流れを感じさせる。
大きさは左右50ミリ×40ミリ×厚さ35ミリほど。
全体的に東京の粋を感じさせる、うさぎや3系統の異端とも言えそうだ。
令和3年の終わりに、またしてもあんこの神様に感謝。
今年一年、コロナ禍の中、読んでくださった皆々さまにも改めて感謝いたします。
「阿佐ヶ谷うさぎや」
所在地 東京・杉並区阿佐ヶ谷1-3-7