あんこの神様はやっぱりいる?
私にとっての最近のビッグあんこニュース。
約6年かけて修復した日光東照宮陽明門(12月から再修復とか)を見た帰り、渋滞のクルマの中から、ふと左手を見ると、まさかの光景が佇んでいた。
閉店したはずの「ひしや」が開いていた。
日光に来るたびに「本日休店中です」の木札の前で、「休店ではなく廃業したんだな」とほとんどあきらめていた店。
何しろこの期間約10年! 「休店」の域をはるかに超えている。
私にとっては本物の幻の羊羹・・・になりかけていた。
これがその幻の煉り羊羹。
あわててファミレスの駐車場に何とかクルマを止めて、駆け足で戻り、再開を確認してから、ふうーとひと呼吸してから飛び込み、1棹ゲットした(興奮しすぎ)。
お代は昔のまま1棹1500円(税別)。
店内は依然と変わらない。タイムスリップ感。
マスク姿の4代目の女将さんがいて、少しだけ取材することができた。
10年ではなく、休んでいた期間は「いろいろあって8年です」。
いろいろの中には4代目のご病気(息子さんの5代目も)があったようだ。
まずは8年ぶりのその幻の羊羹を見ていただきたい。
昔と同じ、竹皮包み。
竹皮を取りにかかる。
表面がまだら状にうっすらと糖化していて(わざと3日ほどそのまま置いておいたので)、小倉色の美しい煉り羊羹が横たわっていた。
窓からの光を吸い取って、それが奥の方で凝縮している、変な例えだが、そう言いたくなる感覚。横から見ると、表面に近い部分にかすかに透明感がある。
「これだこれだ」
学生時代に片想いだったお方に偶然再会した気分、かな。
1本(1棹)の長さは180ミリ×55ミリ×20ミリ。重さは約280グラム。
さて、味わいは?
表面のかすかなじゃりじゃり感と煉りの部分のきれいなコクと余韻が絶妙につながっている。
甘すぎず、しつこすぎず。
繊細な手の匂いのする、きれいな味わい。以前のまま。
上質で、雑味がない。
「ひしや」の創業は明治元年(1868年)。現在5代目が継いでいる。代々の手作業を守り続け、煉り羊羹一本勝負で、凄いのは1日1釜分しか作らない(作れない)。
同じような作り方(1日1釜)をしている東京・吉祥寺「小ざさ(おざさ)」が1釜(約150本分)と言われているので、ここも同じくらいの本数ではないか。
ゆえに休店前には午前中で「本日分の販売は終了しました」の木札がさがることも多かった。
羊羹職人が手作業で精魂詰めて作ると、このくらいの本数(棹数)になるのかもしれない。
今、それが目の前にある。
材料は小豆と砂糖と寒天のみ。小豆は北海道産、砂糖は「上白糖です」。寒天は聞き逃した。
昔、東京・三鷹に住んでいた時に早朝から並んで、「小ざさ」の煉り羊羹をゲットしたことがある。
舌の記憶では、その味とほとんど同じ味わい。
想像だが、惜しまれながら廃業した本郷三丁目にあった加賀藩御用達だった「藤むら羊羹」の煉り羊羹もこんな味わいだったのではないか? (私が行ったときにはすでに廃業後だった。グヤジイ)
さて、再び「ひしや」の煉り羊羹。
そのまま竹皮包みしていることもあり、賞味期限がフツーの煉り羊羹よりも短く、約10日間。
なので、約半分だけ残して、そのぎりぎり10日目にどう変化しているか、味わうことにした。
〈10日後の変化〉
ごらんの通り、さらに糖化が進んでいた。
包丁で切ると、糖化の厚みは約0.6ミリ~1ミリくらい。
シーラカンスに出会ったような、ある種不思議な、ときめき。
だが、中の煉り本体はほとんど同じだった。あえていうと、コクと深味がほんの少し増した感じかな。
変わらない雑味のなさが素晴らしい。
表面のじゃりじゃりした歯触りと柔らかな煉りが絶妙にコラボしている。
目をつむると、きれいな小豆の呉(中の部分)がいい羊羹職人の手で見事な蝶に変身しているイメージが脳内によぎった(ホントです)。
竹皮に包まれた煉り羊羹は全国にもないわけではないが、ここまでピュアに手作りこだわった煉り羊羹はやはり希少だと思う。
8年ぶりの再開を素直に喜びたい。
「ひしや羊羹本舗」
所在地 栃木・日光市上鉢石町1040