待ってました!と、裏声で掛け声をかけたくなる。
冷た~い水ようかんの美味しい季節である。
コロナで外出制限があるが、県またぎも明日解除される。
なので、前祝い。
福井や小城市など羊羹や水ようかんの町は全国にいくつかあるが、水ようかんのレベルや質を考えると、私のイチオシは日光である。
日光東照宮への参道をブラ歩きすると、水ようかんの古い看板が7~8軒ほど見えてくる。歴史的に見ても、一か所にこれだけのようかん屋さんが密集している場所は多分、ここだけだと思う。
片っ端から食べ歩きしたいが、水ようかんは日持ちがせいぜい3~5日なので、そうもいかない。悲しいかな、予算もある。
なので、今回は中でも一番古い歴史をもつ「綿半(わたはん)」(創業天明7年=1787年、写真上)と人気上位の「鬼平(きびら)」(創業大正末、写真下)を買い求めて、自宅で賞味することにした。
究極の二択、と決め打ちした。「ひしや」も入れたかったが、10年ほど前に休業してしまった(こんなに悲しいことはない)。
「綿半」のものは5本入り(税込み760円)、「鬼平」も5本入り(同750円)。
綿半はモスグリーンの包装としっかりした紙箱、鬼平は明るいブルーと簡易な紙箱の違いはあるが、それ以上に見た目の色と食感が明らかに違う。
比較すると、違いがよくわかる。
まず綿半から。きれいな、深みのある小倉色で、重さも少し重い。
日光で最初に練り羊羹を作った店でもあり、技術がしっかりしている印象。
こしあんと寒天の割合が絶妙で、むしろこしあんに比重があると思う。
上品なほどよい甘さで、舌触りはなめらか。こしあんの粒子も感じる。塩気のほんのり具合も穏やかで、深く長めの余韻がしばらく舌の上に残る。
こしあん好き派には「うめえ」と吐息が漏れる味わいだと思う。
たまたまいらっしゃったご高齢の7代目女将によると、小豆は北海道産、砂糖は上白糖を使用、「寒天を多くし過ぎないようにしてます」とか。
隣の鬼平(下の写真)は、色がまず綿半より黒っぽい。寒天の存在がより前面に出ていて、光が当たると白っぽく透き通って見える。こしあんの存在がその分薄くなり、味わいはみずみずしくなる。清流の水ようかん、といった感じ。
甘さがかなり抑えてあり、口どけがとてもいい。
あっさり系の水ようかん、とも言える。福井の水ようかんにも近い感じで、より寒天を感じたい人には「たまらない」水ようかんだと思う。
「日光周辺では昔から水ようかんが各家庭で作られていて、冬の楽しみだったんです。それを商品として売り出したのはウチが最初です。煉り羊羹はもっと昔からありましたけど」(鬼平3代目女将さん)
鬼平も小豆は北海道産、砂糖は上白糖を使用。それに塩。綿半とほとんど同じ材料を使って毎朝早くから水ようかんを作っているのに、仕上がりはそれぞれの特徴が出てくる。ライバルとしての自負も出てくる。
蒸し羊羹から派生した、寒天を使った煉り羊羹が登場したのは江戸時代寛政年間(1789~1801年)といわれる(諸説ある)。
幕府の菓子司「大久保主水」で修業した喜太郎(「紅谷志津摩」初代という説もある)が江戸日本橋に店を出し、それが話題を呼び、人気を集めていった。
寒天を使った水ようかんも同じくらいの歴史があるようだ。煉り羊羹ほど日持ちしないのと比較的簡単に作れるので、冬のスイーツとして、徐々に広がっていったようだ。
全国的な人気になったのは明治に入ってからではないか。開国で砂糖の解禁が進み、和洋菓子屋さんの数が急激に増えて、同時に水ようかんの地位も高まっていった。
日光の水ようかんが東照大権現(徳川家康)の足元で生き残り、和スイーツの聖地化しているのは偶然ではない、と思う。
家康も実は和菓子好き、大のまんじゅう好きだった。
あんこ好きにとっても大権現なのである。
所在地 「綿半大通り店」栃木・日光市下鉢石町799
最寄駅 東武日光駅から歩約10~15分