「羊羹(ようかん)」の中でも蒸し羊羹の歴史は古い。
寛政年間(18世紀後半)に江戸・日本橋で寒天を使った煉り羊羹が登場するまで、小豆を使った羊羹と言えば、主に蒸し羊羹だった。寒天ではなく小麦粉を使った羊羹。
尾張名古屋へのあんこ旅で、驚くべき蒸し羊羹に出会った。
上生菓子界では知る人ぞ知る、美濃忠本店の「上り羊羹(あがりようかん)」である。
「オーバーだよ」と思われるかもしれないが、羊羹に対する概念が変わってしまうほどの、天にも昇る味わいだった(ホントにあと数センチで天に昇ってしまいそうだった)。
それがこれ。
一見すると、蒸し羊羹というより、水ようかんか煉り羊羹に近い。
1棹が税込み2484円と安くはない。たまたま半棹(同1296円)もあったので、そちらをゲットした。賞味期限は4日間と短い。
箱を開けると、丁寧に銀紙で包まれたご本尊が現れた。
濃い藤色のあまりの美しさに目が吸い込まれるようだった。
備えてあった菓子楊枝(かしようじ)と糸。
その糸で切り分ける。
ぷるるんと揺れる。水ようかんのようで水ようかんとは違う。
上品というより、高貴な印象に近い。
恐る恐る口に運ぶと、なめらかな、それもただのなめらかさとは違う、微粒子の舌触り。
表現するよりまずは味わえ。理屈は後からついてくる?
小豆のきれいな風味と上品な甘さが舌の上でとろけるように消えていく。
余韻の長さもレベルを超えている。
ベースのこしあんがぷるるんと舞いながら昇華していく(表現がヘンかな)。
デビュー当時のアリシア・キーズみたい(合ってるかな?)。
私が食べた羊羹の中でも、こういう食感は初めて。
表記してある材料を見ると、砂糖(国内製造)、小豆、小麦粉としか書かれていない。
小麦粉の存在はほとんど感じない。むしろ葛(くず)の食感に近い気がする。
美濃忠は創業が安政元年(1854年)で、現在6代目女将。尾張徳川家の御用達を務めた御菓子司だが、この上り羊羹は創業当時から作っているとか。
京都の「川端道喜」には負けるとしても、これは凄いことだと思う。
この尋常ではない「上り羊羹」の正体を知りたくなり、失礼とは思いながら、思い切って電話してみた。
小麦粉とは思えない、本葛ではないか? 小豆は? 砂糖は和三盆? などなどいくつもクエッションマークが湧いてくる。
「小豆は北海道産ですが、砂糖は和三盆ではありません。上質な砂糖としか言えません。小麦粉も同じです」(本店)
代々伝わる家中の秘伝ということのようだ。
当たり前のことだが、情報公開は老舗の奥には通用しない。
それでいいのだ、と思い直す。
それにしても、と思う。美濃忠をたどると、徳川義直(尾張藩初代藩主)の御用達だった「桔梗屋」にたどり着く。初代はそこで修業した後、現在の地に「美濃忠」の暖簾を掲げたようだ。
そのときから、すでにこの「上り羊羹」を作っていたことになる。
「上り」の意味は、献上の意味だそうで、尾張徳川家の歴代お殿様は、こんなにぜい沢な蒸し羊羹を食べていたことになる。
それを今、平民の私が味わっている。
5月25日までの季節限定品だが、新型コロナウイルスパニックの中で、この一瞬の絶妙を味わえるとは・・・これもあんこの神様のおかげということにしておきたい。バチが当たる前に。
所在地 名古屋市中区丸の内1-5-31
最寄駅 地下鉄丸の内駅から歩約5分