百の言葉より、まずはこのお姿を見てほしい。
江戸時代からタイムスリップして抜け出てきたような本煉り羊羹(ほんねりようかん)。
渋い竹皮に包まれ、それを取ると、表面が白く糖化した羊羹が現れた。
表面のひびが手づくりの重みと歴史を周囲に放射しているよう。
これは凄いなあ。
あの小城羊羹も位負けしそう。小城羊羹は明治からだが、それよりも古い。
妙なたとえだが、初めてシーラカンスを見た時のような驚きとときめきがきらきらと押し寄せてきた。
幻の江戸羊羹を探し求めて、日光や京都、佐賀・小城市や富山市まで足を延ばし、東北の城下町・二本松でとうとう出会った。そんな感じ。奥の細道は奥が深い。
弘化2年(1845年)創業、明治維新前までは二本松藩主・丹羽家の御用菓子司として、東北に名をとどろかせていた「玉嶋屋(たましまや)」である。
現在8代目。
何が凄いか?
江戸時代のつくり方をほとんどそのまま一子相伝で受け継いでいること。
銅釜と長い木べらを使い、今も火力の強いナラの木の薪(まき)で羊羹を練り上げている。
手間暇かけてここまで昔のままのつくり方を続けているのは、私の知る限り、日本広しといえども多分ここだけだと思う。
大本煉り羊羹(1棹 税込み1404円)を買い求め、自宅で賞味となった。
包丁で切り分けてから、敬意を表して、日本橋「さるや」の黒文字でいただく。
表面のシャリッとした歯ごたえ。続いて、中の本煉りの素朴なねっとり感がたまらない。
凝縮した小倉色。その自然なテカリ。
甘さは思ったほど強くないが、こしあんと寒天の練り具合が濃密で、プロフェッショナルの精魂を込めた素朴な風味が口の中にとどまり続ける。
洗練というより、むしろ野暮ったさを感じる。
頑固一筋の野暮ったさ。
「すべて手づくりなので、作るのが大変なんです。ナラの木を今でも使っているのは珍しいと思います。火力が強いので、長い木べらでかき混ぜながら、どんどん水分を飛ばし練り上げていくんですよ。代々伝わっている製法なので、私の代で止めるわけにはいきません」
大正時代の二本松大火で、店も焼けてしまったため、江戸時代からの資料も燃えてしまった。
なので詳しいことは不明な部分もあるが、煉り羊羹づくりは、初代が丹羽家お殿様の命令(藩命)で、江戸へ羊羹のつくり方を学びに行ったことによる。
当時、煉り羊羹は江戸・日本橋が中心だったので、日本橋の御菓子司に修業に行ったと思われる。
当時の煉り羊羹のレベルは今以上だったのではないか?
私にとっては幻の江戸煉り羊羹の一つの到達点。
それが今、こうして舌の上にあること。
虎屋のものとはひと味違う昔のままの世界。
これはほとんど奇跡だと思う。
所在地 福島・二本松市本町1-88
最寄駅 JR東北線二本松駅から歩いて約5分