和菓子好きの知人から面白い情報が入った。
新潟の笹だんごそっくりの餅菓子が茨城にある、というのである。
しかも由来があの水戸黄門(徳川光圀)にまでさかのぼる、という。
かつては十軒以上が地元の名物として作っていたが、今では一軒だけ。それも元祖の店だという。
まさか? 正直に告白すると、私も知らなかった。
それがこれ。見た目は新潟の笹だんごそのもの。
歴史のある、古い蔵や町家が今でも残る鯨ケ丘(くじらがおか)通りにその店「元祖 なべや」があった。
店のたたずまいに胸がときめいた。
ここでは「笹だんご」とは呼ばず、「粽(ちまき)」と表記してあった。
1個130円(税別)。実直そうな4代目と雑談しながら、5個つながり(同650円)を買い求めた。外観はどう見ても笹だんご。
その9時間後、自宅に帰ってから夜8時過ぎの遅い賞味となった。賞味期限が「本日中です」と言われたからである。むろん添加物などは使っていない。
濡れた熊笹を剥くように取ると、中から白い餅が見え、うっすらとあんこが透けていた。もち米ではなく、常陸産コシヒカリを搗(つ)いたうるち米のだんご。
中はこしあん。控えめな甘さで、さらさらとした舌ざわり。北海道十勝産のいい小豆の風味。塩気がほんのりあり、このローカルの老舗がかなりの腕の職人だとわかった。
朝作っているので、多分10時間は経過している。そのせいだろう、うるち米の皮は幾分固くなっていた。
作り立てを食べるべきだった、といささか後悔。
それでも新潟の笹だんごとは一味違う、素朴な美味さだった。立て続けに3個食べてしまった。一緒に買ったきんつばも上物だった。
4代目によると「元祖 なべや」の創業は明治8年(1875年)。元をたどれば、水戸光圀にまでたどり着く。家臣の佐々介三郎(助さんのモデル)を連れて越後に旅した際に、笹だんごと出会い、それを西山荘(光圀の隠居所)のある常陸太田に持ち帰って、地元の人に伝えた。江戸時代を通じて少しずつ改良され、幕末から明治にかけて現在の「粽(ちまき)」になったという。
ルーツは笹だんごなのは確認できたが、それにしても気が遠くなるほどの長いながい笹だんごの旅だと思う。
ファミリーヒストリーではなく、笹だんごヒストリー。
これだから和菓子屋巡りは止められない。
戦後の最盛期には十軒ほどあった店が、「今ではうちだけです」(4代目)。
かつて戦国武将・佐竹氏の居城があった鯨ケ丘。鯨の背中に似た丘の形状から、「鯨ケ丘」という地名になったという歴史もある。
佐竹氏は徳川の世になって秋田に国替えとなり、光圀も「大日本史」をこの地で編さんした後、73歳でこの世を去っている。
時の流れは誰にも止められない。だが、ここに職人の手の匂いのする「粽(ちまき)」がしっかり残っている。
スマホの時代に、今もそれを味わえる。そのことを素直に喜びたい。
所在地 茨城・常陸太田市東3-2162