ローカルの和菓子屋さん巡りは楽しい。
コロナ禍の中、暖簾を守り続ける姿には神々しさも感じることもある。思わずかしわ手を打ちたくなる店主もいる。
戦後二人の首相を輩出した群馬・高崎にある「御菓子司 微笑庵(みしょうあん)」は若い店主(といっても50歳だが)の温故知新ぶりが特出していると思う。
特に「ちごもち」(いちご大福)が人気で、午前中に売り切れることも多々ある。
2年ほど前に訪ねたら、すでに売り切れていた。
なので、今回は電話で確認した。
「季節商品なので、今年はまだなんです。今の時期はみかん大福が美味しいですよ」
それがこれ。
賞味期限が「今日明日中」なので、大急ぎで自宅に持ち帰った。
一個が300円(税別)と安くはない。店では「なごみ」とネーミングで売られていた。
もう一品「こうえつ」(栗蒸し羊羹 同250円)もゲットしてみた。ひょっとしてあの本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)がら名前を取った?
ネーミングを見ても、京都から連綿と続く上生菓子屋の伝統を取り入れているのがわかる。つまり意識と志が高い。
見事な、球形のみかん大福で、見てると、確かになごんでくる。「なごみ」のネーミングは正しい。粉雪のような打ち粉。うっすらとオレンジ色のこもり。
左右天地ともに60ミリ。重さは110グラムほど。みかん大福としては大きい。
恐る恐る包丁で切ると、みずみずしいみかんが現れた。まわりを白あんが包み込んでいる。
構成としてはこれまで食べたみかん大福と同じだが、ほぼパーフェクトな作りで、微妙なゆがみがない。店主の腕の確かさ。
口に運ぶと、餅の柔らかさが羽二重で、みかんの甘さがひときわ光る。
白あんは脇役に徹していて、存在感は薄いが、きれいで上品なのがわかる。
みかんの皮が全体を邪魔しない。あふれる果汁とスーッと消える羽二重餅と白あんのバランスがとてもいい。
昇天しそうなほどの甘い小天国(笑)。
昭和60年頃、フルーツ大福の先駆け「いちご大福」(元祖は東京・曙橋「大角玉屋」と言われている)がすい星のごとく登場して以降、それまで考えられなかったフルーツ大福が次々と登場している。最近は特にバラエティー度が加速化している。
なので、みかん大福も徐々に定番化しつつあるが、個人的にはこれは悪い傾向ではないと思う。本物は淘汰されていく。和菓子ダーウイン説。
私的には砂糖が一般化した江戸・文化文政、和洋折衷の明治維新、グローバル化の平成・・・今もそれが続いていると思う。
そんな能書きはさておき、「微笑庵」の創業は平成14年11月。それ以前は店主の祖父が昭和4年に創業した「みやざわ製菓」(雑貨も売っていたようだ)。そこから数えると3代目になるが、上生菓子や創作生菓子までこだわって作る現在のスタイルは初代といった方がいいかもしれない。千葉・市川「菓匠 京山(きょうざん)」で3年修業した後、精進して関東でもその名を知られるほどの和菓子屋さんになっている。
もう一品「こうえつ」は二層の栗蒸し羊羹。村雨のような生地も組み合わせている。だが、村雨ではなく、むしろ黒糖を使った蒸しパンのような食感。塩気が強い。
それが下三分の二の栗蒸し羊羹とうまく結合されている。蒸し羊羹自体は甘さがかなり抑制されていて、国産の栗の風味がほんのり。
こしあんのいい余韻も残る。
みかん大福ほどのため息は出ないが、地味に、よく考えられた構成だと思う。
忙しい中、たまたま店主が出てきて「みかん大福の白あんは白いんげんと手亡をブレンドしてます。砂糖は白ザラメを使ってます」と教えてくれた。物腰が柔らかい。
次々とお客が来るので、早々に退散。
みかんは和歌山の特別栽培の完熟みかんだそう。
こういう温故知新な店がローカルで輝きを放っていることを喜びたい。
所在地 群馬・高崎市剣崎町1038-4