今回は渋く、地味~に行きたい。ようくわん、の話(笑)。
寒天を使った「煉り羊羹(ねりようかん)」が初めて登場したのは、寛政年間(1789~1801年)といわれる(別の説もある)。
江戸・日本橋本町で喜太郎(「紅谷志津摩=べにやしづま」初代?)という人物が作り上げ、一躍評判になったようだ。それまでは蒸し羊羹が羊羹の主流だった。
さて、では今が旬の「栗羊羹」(くりようかん)の元祖ってどこ?
今回取り上げるのは、その元祖栗羊羹でも知る人ぞ知る、あの千葉・成田山参道に店を構える「米屋(よねや)総本舗」である。ちなみに「元祖栗蒸し羊羹」は並びにある「米分(よねぶん)本店)」と言われる。煉りと蒸しの違いだが、ここは少しややこしい。
その元祖栗羊羹(煉り羊羹)がこれ。タイムスリップして、いきなり目の前に現れた・・・そんな気分。
米屋の創業は明治32年(1899年)。現在は6代目。約20年前、創業百年を記念して、創業当時のレシピで栗羊羹を再現。「美味 伝承栗羊羹」(1棹 税込み1200円)と名付けて、季節限定(5月まで)で売り出した。
あんこ行脚の延長で成田山まで足を運び、その元祖栗羊羹を買い求め、空色のバッグに入れ、自宅で賞味することにした。
米屋総本舗は関東を中心に知名度も高い。職人の手の匂いのする小さな暖簾好みの私の中では、「too big 」は視野から外れるが、「明治時代の元祖栗羊羹」となると話が違ってくる。
目の前の元祖は小倉色のテカリを蓄えた、美しい煉り羊羹で、蜜煮したきれいな栗が丸ごと、乱反射した満月のごとく闇夜に沈んでいた(表現まで明治調におかしくなってしまった、笑える)。
栗の数がメチャ多い。数えてみたら12~13個・・・。
つい引き込まれる。えらいこっちゃ。闇夜に落ちる。
創業時の明治の羊羹職人の凄み、を感じる。
手に持つとズシリと重い。重さを量ると、342グラム。長さは176ミリ、幅51ミリ、厚さは27ミリ。
伝統の舟形に流し込み、固めたもの。
最後のセロハンをはがし、包丁で切り分け、菓子楊枝(かしようじ)で食べる。
濃厚というより穏やかな煉り羊羹で、北海道産えりも小豆とグラニュー糖のきれいな風味がやさしい。ほどよい甘さ。水飴も加えているようだ。塩気はない。寒天との絶妙な煉り込み、しっかりとねっとり感。
蜜煮した栗はきりっとしていて、ほろほろと崩れる食感を十分に楽しめる。風味も十分にある。この栗、国産かと思ったら、「韓国産です」(米屋総本店)。ここだけは多分、創業当時とは違うようだ。
とはいえ明治時代の栗羊羹がこのような、上質な、予想以上の洗練に少しウルウルする。
表面の一部が少し白く糖化していて、一瞬だけだが、そのザラっとした歯触りも明治を思わせる。
明治維新とともに廃業した、江戸時代の幻の煉り羊羹「鈴木越後」や「紅谷志津摩」(幕府御用達菓子司だった)を追い求めて、転々と「ようかん行脚」を続けていたはずが、計ったように江戸の名残を残す明治時代の栗羊羹に出会ってしまった。
あんこの神様がどこかでほほ笑んでいるにちがいない。なぜかアンジェリーナ・ジョリーの妖艶な顔が重なってくる・・・(まさか)。
所在地 千葉・成田市上町500