ここに「幻の煉り羊羹(ねりようかん)」がある。
江戸時代、菓子司「鈴木越後(すずきえちご)」の羊羹といえば、江戸の美味いもの番付で、最高位に君臨していた逸品。
その美味さは当時、最高峰の菓子司の一つとして知られていた金沢丹後(かなざわたんご)の羊羹でさえ格下扱いされたほど。
きめ細やかさが他の羊羹とはまるで違った、という。
一体どのような美味さだったんだろう?
残念ながら、江戸幕府が崩壊するとともに、暖簾を畳んでしまった。和菓子の世界で見ると、薩長土肥の明治維新は江戸の老舗が消えてしまう過程でもある。
勝手な想像だが、「ケッ、芋侍の下で大事な暖簾を提供するわけにはいかねえよ」という思いもあったのではないか?
で、タイムマシンでもない限り、その煉り羊羹を食べることは不可能だとあきらめていた。
だが、その流れを汲む羊羹が存在していた。
それが富山市に店を構える「鈴木亭(すずきてい)」である。
その煉り羊羹を手にした時、胸が高鳴った。
鈴木亭の初代が江戸時代末期に、お江戸日本橋の鈴木越後で15年間修業し、いわば暖簾分けの形で、故郷の富山に戻って、和菓子屋を始めた。創業が慶応2年(1866年)。
五代目が健在で、作り方は公開していない。一子相伝で受け継がれているというのも凄い。
二代目のときに鈴木越後直伝の煉り羊羹を少しアレンジして、白インゲンで杢目(もくめ)を付けているが、「作り方は基本的に江戸時代のままだと思います」(五代目)。
一棹が虎屋の煉り羊羹よりもやや大きい。重さは約700グラム。それで1300円(税別)。
日本橋「さるや」の黒文字で正座して賞味してみた。
密度の濃さときめ細かさが想像を超えていた。
舌の上ですーっと溶けて行く感触。
生羊羹なので、賞味期限が6日間と短い。
甘さは控えめだが、きれいな余韻が長々と続く。
思わず目を閉じる。
100%鈴木越後の羊羹ではないが、その夢のシッポくらいはつかめた気がする。
「昔の方が保存の関係でもっと甘かったはずです。砂糖をかなり使っていたと思いますよ」(五代目)
鈴木越後の看板も煉り羊羹が江戸のスイーツの高根の花だったことも、いまでは知っている人は少ない。
この幻の羊羹をシーラカンスにしてはいけない、と思う。
江戸人の味覚がいかに凄かったか、この羊羹で改めて再認識した。