銀座「空也(くうや)」の最中(もなか)を初めて食べたときの感動が忘れられない。それまではもなかは苦手だった。
独特の焦がし皮のパリパリ感と香ばしさ。中のつぶしあんの濃厚な甘さがとにかく絶妙だった。
くびれのある、どこかコケティッシュなひょうたん型。ふた口で食べれるほどの大きさ。手ざわり感も素晴らしい。
最初の恋ほど美化されたまま記憶に残る。
東京で、いや全国でもトップに位置するもなか、だと思っていた。
それが京都に住む和菓子好きの友人が「あれはダメや。ボクの知り合いのグルメも過大評価や思うで、言うてはります。いつも売り切れというのもおかしいで」と斬って捨てた。予想外の胸元スレスレの変化球に驚いた。
明治17年(1884年)創業という老舗もなか屋で、かの夏目漱石や料理評論家の岸朝子も絶賛しているというのも売りになっている。その他有名人のファンも多い。
予約しないと手に入らない。
というのも伝説に拍車をかけている。本郷三丁目「壺屋(つぼや)」や吉祥寺「小ざさ」など特Aクラスのもなかを差し置いて、その人気は不動のものになりつつある。
久しぶりに予約を入れ、10個入り(自家用紙箱入り 1000円)を持ち帰った。
賞味期限は一週間ほど。作りたてが一番皮がパリパリしていて美味いと思うが、二日ほど置いた方が皮と中のつぶしあんが馴染んで美味しい、というファンも多い。
私は一日半後に食べてみた。
焦がし皮の香ばしさとパリッとした食感が相変わらず素晴らしい。
中のつぶしあんは濃厚でこってりしている。水飴のつなぎ。塩気もかなりある。
塩をほとんど加えない京都の洗練とは違う、あえて言うと東京の洗練だと思う。
だが・・・不思議なことにかつての感動がない。
絶妙に美味いのに、感動の波が期待したほど来ない。
ひょっとして職人が変わったのか、何か作り方に変化があったのか勘ぐってみた。
そんなはずはない。
今は五代目が仕切っている。聞いてみたくて電話を何度かしてみたが、ずっと話し中でつながらない。
時代によって好みも素材も少しずつ変化するのは仕方がない。何処の老舗もそのジレンマを抱えながら日々工夫精進している。100%同じ、というのはあり得ない。
あるいは変わったのは私の舌かもしれない。
美味いのは美味い。それなのに・・・最初の感動はどこに行ってしまったのか? その理由がいまだにわからない。
所在地 東京・中央区銀座6-7-19