週刊あんこ

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あの秀吉の驚きの舌

 

美しい餅菓子、鶯餅(うぐいすもち)のファンは多い。

 

何を隠そう、(隠す必要はないのに)私もその一人。あんこを求肥で包み、青大豆きな粉をまぶしたその色と姿は確かにうぐいすを連想させる。

 

なので、うぐいす餅。春の季語にもなっている。

 

この命名者があの豊臣秀吉、って知ってる人はそう多くはない。

 

どうやら本当らしい。秀吉は名コピーライターでもあったことになる。

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秀吉の弟・豊臣秀長が関白秀吉を迎えて、大和郡山城で茶会を開いた。

 

秀長は珍しいもの好きの秀吉を驚かせようと思って、「本家菊屋」の初代・治兵衛に「これまでにない和菓子を作れ」と命じていた。

 

苦心の末、出来上がったのが青きな粉をまぶした餅菓子だった。

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秀吉は大の甘党でもあったようだ。

 

ひと口食べるなり、そのあまりの美味さに腰を抜かしそうになった。多分、少なくとも5個以上食べたのではないか(見たわけではない)。

 

「天晴れじゃ、これからこの珍菓子をうぐいす餅と名づけよ

 

と言ったとか。430年以上経った今も本家菊屋に伝わる話である。

 

どこでもドアで、その元祖、本家菊屋に足を運んだ。

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大和の国・郡山城下に店を出したのがなんと天正13年(1585年)というから驚く。現在の奈良県大和郡山市

 

当主は現在26代目。秀吉の弟・秀長が大和郡山の城主になったときに、何処からかやって来たらしい。つまり創業はもっと古いが、古すぎて本家菊屋でも把握できないらしい。いやはや。

 

その元祖・うぐいす餅を今も作り続けている、なんて。気が遠くなってくる。

 

商家造りの開放的な店構え。柿色の水引暖簾。中に入ると石畳。

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江戸時代になってから、徳川に遠慮したのか、名前を「御城之口餅(おしろのくちもち)」と変えてしまった。郡山城の入り口に店があったため。

 

惜しいなあ。秀吉ほどのひらめきが感じられない。

 

日持ちがしないため、無理を言って、店の縁台で賞味させていただいたが、超老舗なのに、店の女性スタッフは気さくだった。

 

「1個でもいいですよ」

 

「では5個ください」

 

形も青きな粉をまぶしたところも同じだが、サイズが小さい。当時のままだそう。一口サイズ。一個100円(税込み)。

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ほうじ茶と黒文字まで付けてくれた。ちょっと感動。

 

これが今も絶品なのである。

 

求肥(ぎゅうひ)の柔らかさと青きな粉のかかり具合。中のつぶあんもひと味違う。

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つぶあんは選りすぐった丹波大納言小豆で、風味といい甘さといい、素晴らしいとしか言いようがない。青きな粉は国産青大豆を使っている。

 

サイズが小さいだけで、その美味さの凝縮感が現在のうぐいす餅に負けていない。それどころか、超えてさえいると思う。

 

秀吉の舌がいかにすごかったか。改めて、脱帽させられてしまった。

 

所在地 奈良・大和郡山市柳1-11

最寄駅 近鉄郡山駅下車

 

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