週刊あんこ

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小豆の頂点、高麗餅の凄味

 

京都の友人から「御目出糖(おめでとう)」なる和菓子をいただいた。

 

それが元和3年(1617年)創業の上菓子屋「萬年堂本店」(当時は亀屋和泉)のものだと知ったのは食べ終えてからだった。

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大納言小豆を使った蒸し菓子だが、独特の食感で、あまりの美味さに驚いた。

 

何じゃこれは?

 

独特のもっちり感と小豆の洗練された風味。初めての感触。

 

これは反則に近い。

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かような上菓子とは無縁な生活だが、これが秀吉の唐入り朝鮮侵略)からのお菓子だと知って、さらに驚いた。

 

小豆あんに餅粉と米粉を加えて混ぜ、そぼろ状にしてから、そこに大納言小豆の砂糖漬けを散らして、蒸し上げたお菓子。

 

こしあんがそぼろ状にもっちりしていて、その小豆の風味とほどよい甘さに、数百年前の殿上人の舌の確かさに唸らさせられた。

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高麗餅(こうらいもち)、という名称が朝鮮から来たことを裏付けている。

 

ひょっとして千利休これを茶席に使っていたかもしれない。

 

私が食べたのは東京・銀座にある「萬年堂本店」の上菓子だが、遡ると、元和3年以前から、つまり秀吉が朝鮮侵略から連れてきた陶工たちとともに日本に入ってきたようだ。ルーツは朝鮮ということになる。

 

それゆえ「高麗餅」という名称で、鹿児島や他の地域にも伝わっている。それぞれ微妙に作り方も味わいも違う。

 

だが、萬年堂本店の「高麗餅」は別格だと思う。

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門外不出で、元和3年より家伝のレシピで作られている。

 

明治に入ってから、天皇遷都とともに、京都・寺町から東京に移り、そのときに「御目出糖」と名前を変えた。小豆の赤い色が目出度い、ということで、「御目出糖」となったようだ。

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それに代わって、挽き茶を加えたもの(手亡あん)に「高麗餅」と名付けた。ややこしい名称変更だが、本来の高麗餅は小豆の方である。

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こうした複雑な由来を吹き飛ばすほど、とにかく美味い。(個人的には見かけだけの和スイーツなど足元にも及ばない、と思う)

 

蒸し菓子というと、蒸し羊羹が有名だが、これはおそらくそのレベルを超えている。そぼろ状の洗練されたこしあんが、独特のもっちり感とともに、舌の上で溶けていく。

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その後、もう一度食べたくなって、東京・銀座まで足を延ばした。6個入り1720円(税別)と安くはないが、御目出糖と高麗餅(各3個入り)を買った。

 

現在12代目だという和服姿の女将さんが、丁寧な口調で、「息子が13代目なんですよ」とおっしゃった。飯田橋の「萬年堂」は暖簾分けとか。

 

和菓子の世界の奥の深さを思い知らされた一瞬だった。

 

所在地 東京・中央区銀座5-8-20銀座コア1階

最寄駅 東京メトロ銀座駅

 

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