週刊あんこ

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秀吉が自慢した「紅煉り羊羹」

 

今でこそ煉り羊羹(ねりようかん)といえば、虎屋だが、それは明治以降の話。

 

虎屋はそれ以前は饅頭(まんじゅう)の方が有名だった。

 

では煉り羊羹の元祖は?

 

それが驚いたことに、安土桃山時代に行きつく。時は秀吉の時代。

 

大茶会で使うため関白秀吉が当時の鶴屋(五代目岡本善右衛門)に、それまでの蒸し羊羹とは違う「皆の衆が驚くような羊羹を作れ」と命じた。(直接現場を見たわけではないので、半分色が付いてしまう)

 

それが京都・伏見の鶴屋(徳川の世になって鶴屋から駿河屋に改名)が苦心惨たんして作り上げた「紅煉り羊羹」だった。

 

鶴屋は創業がなんと寛正2年(1461年)の超老舗。

 

紅色の羊羹とはちょっと凄すぎじゃないか?

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それを再現したのが、総本家駿河屋の「古代羊羹」(紅煉り)。大納言と半棹2本セットで1450円(税別)。

 

竹皮の包みを取ると、表面が白く砂糖化した濃い紅色の羊羹が現れた。

 

こんな羊羹、あまり見たことない。

 

白インゲンに着色したものだが、寒天と和三盆などを使用している。

 

色は当時も紅色で、同じような見た目だったかもしれない。

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居並ぶ武将やお公家さんが驚いた光景が目に浮かぶ。秀吉のしてやったりの表情も。前田利家が悔しがり、加賀に戻ってから、密かに「あれに負けないものを作れ」と命じたことも伝えられている。

 

当時はまだ寒天が発明されていなかったので、紅色でも蒸し羊羹に近かったという説も根強い。砂糖もほとんど輸入に頼っていたようで、かなり高価だった。

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包丁で切って黒文字で食べると、表面の砂糖化した膜にひびが入り、ガサっとした歯ごたえが何とも言えない。

 

羊羹自体は甘さを抑えていて、あっさりした、味わい。虎屋のようなねっとり感はない。白あんの風味が滲み出てくる。

 

ここからがややこしい。鶴屋時代から数えると、550年以上続いた駿河屋はトラブルが相次ぎ、平成24年に経営破たんしてしまった。

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現在の総本家駿河屋はその後、新しく再建されたもの。

 

江戸時代に暖簾分けを繰り返していたので、関西には「駿河屋」の暖簾がいくつかある。

 

伏見・油掛町には天明元年(1781年)に十代目岡本善右衛門から分家した「駿河屋本店」がある。こちらは暖簾をしっかり守り続けたようだ。

 

地元の伏見っ子の多くはこちらを「ほんまの駿河屋」と呼んでいて、京町にある「総本家伏見本舗」を「新しくできはったとこ」と言っているようだ。

 

こちらも紅煉り羊羹を再現していて、「昔のまま」という名前で作って売っている。こちらはインゲン豆ではなく、希少な白小豆を使っている。砂糖も和三盆。

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五代目善右衛門が心血を注いで作り上げ、その後改良を加え、やがて現在のような砂糖と寒天を使った煉り羊羹になって行ったという経由が正しいのではと思う。一方で、江戸日本橋発祥説も根強い。(京都はこれを認めていないようだ)

 

煉り羊羹の歴史、力が入り過ぎて少々ややこしい話になってしまったが、伏見城のあった伏見をブラ歩きしながら、紅煉り羊羹を巡る壮大な物語をつい思ってしまった。

 

ウンチクが多くなってしまったが、羊羹に免じて、ご勘弁ください。

 

所在地 京都市伏見区京町3ー10

最寄駅 京阪本線伏見桃山駅

 

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