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週刊あんこ

和スイーツの情報発信。めざすはあんこ界のコロンブス!

「巨大あんぱん」の謎

あんこ界において、あんぱんは特別な存在だと思う。 オーバーではなく、明治維新後の傑作の一つだと思う。 今ではほとんどの人がそんなことは考えないで、普通に食べているが、あんぱんはカツ丼やカレーライスとともに、日本が生んだ食文化における コロンブ…

神楽坂の絶妙「餡豆かん」

あんこ好きにとって、東京・神楽坂の甘味処「紀の善(きのぜん)」は欠かせない店の一つ。 甘味屋としての創業は1948年(昭和23年)だが、明治維新後に寿司屋として創業している。幕末には口入れ稼業(今でいうと人材派遣業)をしていたらしい。 神楽…

あんこ界のビヨンセ「大きんつば」

あんこ好きには、上質のきんつばはミューズ(女神)だと思う。 あんこ界のビヨンセ、と呼びたくなるほど。 日本三大きんつばを挙げろと言われれば、一に東京・浅草の徳太楼、二に大阪・出入橋、三に金沢・中田屋を挙げたい。 江戸時代・安政4年創業の「榮太…

秀吉が自慢した「紅煉り羊羹」

今でこそ煉り羊羹(ねりようかん)といえば、虎屋だが、それは明治以降の話。 虎屋はそれ以前は饅頭(まんじゅう)の方が有名だった。 では煉り羊羹の元祖は? それが驚いたことに、安土桃山時代に行きつく。時は秀吉の時代。 大茶会で使うため関白秀吉が当時…

あの出町ふたばの豆餅

豆大福好きにとって、京都「出町ふたば」の名代豆餅は避けて通れない。 ここでは豆大福と呼ばず、豆餅と名付けられている。 東京・護国寺の「群林堂」や原宿「瑞穂」を押しのけて、「日本一」の称号を付ける人も多い。 「そんなの、最終的には結局好みの問題…

京都おはぎの最高峰

今さらだが、京都の和スイーツには驚かされることが多い。 烏丸五条にある「今西軒」のおはぎもその一つ。 ある日のこと。東京の有名デパ地下で買った「仙太郎」のおはぎに感動したことを、京都に住む畏友に話したところ、「そりゃ、結構な話やなあ。でもな…

きんつば界、東の横綱

小粋な包みを解いて、浅草「徳太楼」のきんつばを初めて見たときのこと。 それまでのきんつばとは、まるで色味が違うことに、つい見入ってしまった。 きれいな乳白色の皮。それが8個入っていた。 1個135円(税込み、箱代は別料金)。真四角の形で、小ぶ…

伊勢本店で食べた赤福餅

「赤福餅」には複雑な思いがある。 大好きだっただけに、愛憎半ばするのだ。 手ごろな価格で、あんなに美味いあんころ餅はあんまりなかった。今でもそう思う。出張の多いカメラマンが関西に行くたびに手土産で買ってきてくれた。 折詰の蓋を取った瞬間のとき…

千住宿の絶妙串だんご

かつて旧日光街道、日本橋から数えて最初の宿場町だった北千住。 ここに東京でも有数の串だんご屋がある。 ひそかに東京一ではないか、と思っている。築地の茂助ダンゴよりも好み。 こう書くと、そりゃオーバーだよ、という声が聞こえてきそうだが、最初に食…

「一幸庵カフェ」のあんこ

究極のあんこ、というものは永遠の謎かけだと思う。 とはいえ、それに近いものはきっとある。 「一幸庵」のあんこは多分、その一つだと思う。 東京・小石川にある和菓子の名店。老舗とはいえないが、当主は知る人ぞ知る和菓子職人で、こだわり抜いた生菓子な…

安倍川もち元祖のあんこ

元祖安倍川もちを食べに静岡まで行った。 JR静岡駅で降り、そこからバス。安倍川沿いにその店はあった。 そこだけ江戸時代。東海道五十三次の世界。弥次喜多がぬっと出てきそうな気配。 「元祖安倍川もち 石部屋(せきべや)」と染め抜かれた茶色の暖簾が下…

和スイーツの神様「澤屋あわ餅」

和スイーツ界の頂点に位置するのが京都であることに異論はない。 いい店が多すぎる。 今回ご紹介するのは、北野天満宮前の「粟餅所 澤屋(あわもちどころ さわや)」。 創業は江戸時代前期の天和2年(1682年)だが、もっと以前から粟餅は北野名物だった…

はじめまして。「週刊あんこ」編集長です。

あ、忘れていました。はじめまして。 「週刊あんこ」の初代編集長・さとう祐介です(笑)。 簡単にこのブログ開設の動機とプロフィールを書きたいと思います。 子どものころから、甘いものが大好きで、とくにあんこ生菓子が好きでした。 仕事はコピーライター…

人形町「清寿軒」のどら焼き

東京・人形町の「清寿軒」のどら焼きを初めて食べたときのこと。 粒あんのあんこの量と皮の焦げかかったハチミツの匂い。 その手触り感に驚いた。 こんなどら焼きってあり? うさぎやの洗練とも違う。亀十の野暮とも違う。 あえて言うと、野暮の洗練ってとこ…