週刊あんこ

和スイーツの情報発信。あんこ界のコロンブスだって?

「巨大あんぱん」の謎

 

あんこ界において、あんぱんは特別な存在だと思う。

 

オーバーではなく、明治維新後の傑作の一つだと思う。

 

今ではほとんどの人がそんなことは考えないで、普通に食べているが、あんぱんはカツ丼やカレーライスとともに、日本が生んだ食文化における

 

コロンブスの卵

 

であることは、多分間違いない。いかんいかん。肩に力が入ってしまった。

 

ザンギリ頭の時代に、パンとあんこをくっつけちゃうとは、当時はピコ太郎のPPAP以上の驚きだったと思う。

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そのあんぱんの中でも、さらに驚きのあんぱんが、東京・大島のパン屋「メイカセブン」のあんぱん、である。

 

知る人ぞ知る「巨大あんぱん」で、大きさはもちろんのこと、あんこの量が想像をはるかに超える。

 

パン生地の厚さはせいぜい2~3ミリほどで、あんこの塊を薄いパンの膜がやさしく包んでいるような印象。あんこが神々しく透けて見える。

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こしあんとつぶあん、2種類あり、1個185円(税込み)。

 

大きさは測ってみると、直径が7~8センチ、高さは5~6センチほど。重量は約250グラム。

 

「メイカセブン」の創業は昭和33年(1958年)。その当時の作り方を60年近く変えていないというのだから、これはもはや脱帽するしかない。

 

こんなお化けみたいなあんぱんが、東京の下町にずっと息づいていたことに改めて驚かされる。

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メディアに取り上げられるようになって、人気に火がついてしまった。

 

今では開店と同時に売り切れてしまうこともある。こしあんとつぶあん、それぞれ一日200個しか作らないというのも徹底している。

 

さて、問題は味。パン屋なのでパンは普通においしい。焼き色も素晴らしい。

 

だが、あんこは?

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こしあんは甘さが控えめで、それなりの美味さ、と表現するしかない。残念ながら、小豆の風味があまり感じられない。工場のあんこをギッシリつめたような印象。そこがまた魅力なのだが。

 

つぶあんの方が好みに近い。こちらは濃厚さがプラスされる。

 

この小豆が謎に満ちている。あんこの謎。

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「金沢のあんこ屋さんから仕入れています」

 

店の人に聞いても、これ以上の情報はない。

 

これだけ大量のあんこをこれでもか、と詰めたあんぱんが185円とは凄すぎる。下町のパン屋さんの心意気もぎっしりと詰まっているということなのかもしれない。

 

あんぱんの元祖、東京・銀座「木村屋総本店」の洗練されたあんぱんとは対極に位置するあんぱんの重み。

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1個を一人で食べるにはあんこ好きでも相当の気力が必要。なので、1個を何人かで切り分けて食べることをお勧めしたい。

 

パラダイスはみんなで分け合うことが大事

 

ということを思わせてくれる、あんこ好きにとっては稀有なあんぱん、であることは間違いない。

 

 所在地 東京・江東区大島7-2-1 

最寄駅 都営地下鉄新宿線大島駅

 

 

 

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神楽坂の絶妙「餡豆かん」

 

あんこ好きにとって、東京・神楽坂の甘味処「紀の善(きのぜん)」は欠かせない店の一つ。

 

甘味屋としての創業は1948年(昭和23年)だが、明治維新後に寿司屋として創業している。幕末には口入れ稼業(今でいうと人材派遣業)をしていたらしい。

 

神楽坂は元々が花街で、ピーク時ほどではないものの、神楽坂芸者は現在も活躍している。夕暮れ時などにぶら歩きすると、京都の花街のような風情が何とも言えない影絵の世界を作る。

 

今では観光地としても人気スポットの一つ。外国人観光客の姿もよく見かける。

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「紀の善」の一番人気が「抹茶ババロア」で、自家製粒あんと生クリームとのコラボが素晴らしい。高価な丹波大納言小豆を使っているというのも、粒あんに賭けるこの店のこだわりが見て取れる。

 

だが、今回取り上げるのは、「餡(あん)豆かん」(税込み874円)である。

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こちらのあんこはこしあん。自家製の赤えんどうの上にどっかと乗っているこしあんは北海道十勝産小豆を使用、色は濃厚な粒あんとはまるで違っていて、藤紫色に近い。

 

口に運んだ途端、きれいでさらりとした食感。甘さも控えめで、風味もさわやか。

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粒あんほどではないが、こちらの完成度も高い。何よりその下に広がる赤えんどう豆と寒天がいい。きりっとした寒天は伊豆七島テングサ、赤えんどう豆はおそらく北海道産のものを丹念に炊き上げている。

 

黒蜜をかけて食べると、赤えんどう豆がとてもいい。固めだが、中はほどよくふっくらとしていて柔らかい。

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こしあんは中心に位置していながら、脇役に徹しているよう。全体的に絶妙なハーモニーだと思う。

 

だが、こと豆かんに関しては、浅草の「梅むら」の方が一枚上手と思う。黒光りした、まるで黒真珠のような赤えんどう豆で、見た目も味わいもおそらく日本一だと思う。

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3年ほど前、「梅むら」で豆かんてん(こちらではこう呼んでいる)を食べていた時に、たまたま隣に座っていたスイーツ紳士と雑談となり、「あなた、神楽坂の『紀の善』の豆かんも食べたらよろしい」と言われた。

 

それが頭にあったので、今回は「餡豆かん」を賞味した、というわけ。

 

どちらも高いレベルの豆かんには違いない。

 

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ただ一つだけ「紀の善」にお願いしたいのは、こしあんと粒あんを選択できるようにしてほしいこと。

 

昼間の行列は仕方がないにしても、あんこ好きにとっては、これは重大問題なのである。

 

所在地 東京・新宿区神楽坂1-12

最寄駅 JR飯田橋駅東京メトロ飯田橋駅

 

 

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あんこ界のビヨンセ「大きんつば」

 

あんこ好きには、上質のきんつばはミューズ(女神)だと思う。

 

あんこ界のビヨンセ、と呼びたくなるほど。

 

日本三大きんつばを挙げろと言われれば、一に東京・浅草の徳太楼、二に大阪・出入橋、三に金沢・中田屋を挙げたい。

 

江戸時代・安政4年創業の「榮太楼本舗」のきんつばも別格として存在している。その他にも隠れた逸品があるかもしれない。

 

と書いたところで、驚きの大きんつばに出会ってしまった。

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東京・東銀座の歌舞伎座タワー地下2階を散策中に、奥まった場所にそのきんつば屋が実演販売していた。

 

きりっとしたきんつば職人さんが鉄板で淡々と焼いていた。いい風情だが、場所が目立たない。

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その名も「いろはきんつば」。一個210円(税込み)だが、つい最近値上げしたようだ。

 

その大きさと形。円形で普通のきんつばより優に二回りはデカい。その素朴な焦げ目と焼き色が江戸時代のきんつばを思わせる。

 

中央部に刀の形の凹みを付けている。確かに江戸時代の原きんつば

 

ここでは「いろはきんつば」の名前で売られているが、本店は長野・飯田市の「菓子処 和泉庄(いづしょう)」だとわかった。そこでは「名代 大きんつば」の名前で、長いながい歴史を持っていることもわかった。

 

創業が文政元年(1818年)で、初代から一子相伝で大きんつばを作り続けている。

 

お土産に買って帰り、家で食べたら、その素朴な美味さにため息が出かかってしまった。

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薄い皮、その中にぎっしりと詰まったつぶしあん。その驚きのボリューム。

 

大きさを測ってみたら、直径が6センチほど。厚さが2・7センチもあった。

 

寒天が一切使われていず、つなぎは少量の水飴だけ。

 

ひと口で、タイムスリップした気分に襲われた。

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甘さがかなり抑えられていて、上質のふくよかなつぶしあんを、そのまま賞味しているような素朴な味わい。柔らかな小豆の風味がとてもいい。塩気はほとんど感じない。

 

小豆は北海道十勝産を使用、砂糖は白ザラメ。添加物などはむろん使用していない。

 

あんこの魅力が全開したかような、かようなきんつばが存在していたこと、それをこれまで知らなかったことが悔しい。恥ずかしい。穴があったら入りたい。

 

 

焼き立てを少し冷まして食べるのが美味いが、冷えてからでも味わいは衰えない。

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きんつばは江戸時代中期、京都で誕生している。京都では刀の鍔(つば)と形が似ていることから銀つばと呼ばれ、あのうるさい京雀に愛されていた。

 

それが江戸に伝わって、「銀より金の方が縁起がいい」という理由で、「金つば」となったようだ。

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現在の角型のきんつばは明治以降に誕生したもの。

 

「和泉庄」は現在七代目で、八代目も修行中とか。

 

本店以外で焼き立てを食べれる場所は、ここ歌舞伎座タワー地下2階しかない。

 

それなのに奥まった、目立たないところで細々と焼いている。これがどれほどの凄いきんつばなのか、ほとんどの人が知らない。

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あんこが苦手な人にはどうでもいいことかもしれないが、あんこ好きにはこの事態はあまりに悲しすぎる。

 

書いているうちに、あんこ界の隠れビヨンセにまた会いに行きたくなった。

 

所在地 東京・銀座4-12-15歌舞伎座タワーB2「お土産処 かおみせ」内

最寄駅 東京メトロ銀座駅

 

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秀吉が自慢した「紅煉り羊羹」

 

今でこそ煉り羊羹(ねりようかん)といえば、虎屋だが、それは明治以降の話。

 

虎屋はそれ以前は饅頭(まんじゅう)の方が有名だった。

 

では煉り羊羹の元祖は?

 

それが驚いたことに、安土桃山時代に行きつく。時は秀吉の時代。

 

大茶会で使うため関白秀吉が当時の鶴屋(五代目岡本善右衛門)に、それまでの蒸し羊羹とは違う「皆の衆が驚くような羊羹を作れ」と命じた。(直接現場を見たわけではないので、半分色が付いてしまう)

 

それが京都・伏見の鶴屋(徳川の世になって鶴屋から駿河屋に改名)が苦心惨たんして作り上げた「紅煉り羊羹」だった。

 

鶴屋は創業がなんと寛正2年(1461年)の超老舗。

 

紅色の羊羹とはちょっと凄すぎじゃないか?

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それを再現したのが、総本家駿河屋の「古代羊羹」(紅煉り)。大納言と半棹2本セットで1450円(税別)。

 

竹皮の包みを取ると、表面が白く砂糖化した濃い紅色の羊羹が現れた。

 

こんな羊羹、あまり見たことない。

 

白インゲンに着色したものだが、寒天と和三盆などを使用している。

 

色は当時も紅色で、同じような見た目だったかもしれない。

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居並ぶ武将やお公家さんが驚いた光景が目に浮かぶ。秀吉のしてやったりの表情も。前田利家が悔しがり、加賀に戻ってから、密かに「あれに負けないものを作れ」と命じたことも伝えられている。

 

当時はまだ寒天が発明されていなかったので、紅色でも蒸し羊羹に近かったという説も根強い。砂糖もほとんど輸入に頼っていたようで、かなり高価だった。

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包丁で切って黒文字で食べると、表面の砂糖化した膜にひびが入り、ガサっとした歯ごたえが何とも言えない。

 

羊羹自体は甘さを抑えていて、あっさりした、味わい。虎屋のようなねっとり感はない。白あんの風味が滲み出てくる。

 

ここからがややこしい。鶴屋時代から数えると、550年以上続いた駿河屋はトラブルが相次ぎ、平成24年に経営破たんしてしまった。

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現在の総本家駿河屋はその後、新しく再建されたもの。

 

江戸時代に暖簾分けを繰り返していたので、関西には「駿河屋」の暖簾がいくつかある。

 

伏見・油掛町には天明元年(1781年)に十代目岡本善右衛門から分家した「駿河屋本店」がある。こちらは暖簾をしっかり守り続けたようだ。

 

地元の伏見っ子の多くはこちらを「ほんまの駿河屋」と呼んでいて、京町にある「総本家伏見本舗」を「新しくできはったとこ」と言っているようだ。

 

こちらも紅煉り羊羹を再現していて、「昔のまま」という名前で作って売っている。こちらはインゲン豆ではなく、希少な白小豆を使っている。砂糖も和三盆。

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五代目善右衛門が心血を注いで作り上げ、その後改良を加え、やがて現在のような砂糖と寒天を使った煉り羊羹になって行ったという経由が正しいのではと思う。一方で、江戸日本橋発祥説も根強い。(京都はこれを認めていないようだ)

 

煉り羊羹の歴史、力が入り過ぎて少々ややこしい話になってしまったが、伏見城のあった伏見をブラ歩きしながら、紅煉り羊羹を巡る壮大な物語をつい思ってしまった。

 

ウンチクが多くなってしまったが、羊羹に免じて、ご勘弁ください。

 

所在地 京都市伏見区京町3ー10

最寄駅 京阪本線伏見桃山駅

 

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あの出町ふたばの豆餅

 

豆大福好きにとって、京都「出町ふたば」の名代豆餅は避けて通れない。

 

ここでは豆大福と呼ばず、豆餅と名付けられている。

 

東京・護国寺の「群林堂」や原宿「瑞穂」を押しのけて、「日本一」の称号を付ける人も多い。

 

「そんなの、最終的には結局好みの問題だよ」

 

という声があるのも、承知している。

 

で、あえて言うと、日本一の称号を与えたくなるほどの美味さだと思う。むろん個人的に、だが。

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評判が鳴り響いていて、出町柳の店はいつも大行列で、そのあまりに庶民的な店構えといい、価格といい(1個 税込み180円)、京都の餅菓子屋の実力を垣間見る思い。

 

創業は明治32年(1899年)。初代は米どころ、加賀小松からやってきた。京都で餅屋を始め、豆餅にあんこを入れて売り出したところ、評判を呼び、それが名称もそのまま「豆餅」として現在に引き継がれている。

 

この豆餅を最初に見たとき、柔らかそうな餅と大粒の赤えんどうの存在感にハッとなった。

 

おぬし、只者ではないな、と話しかけたくなった。

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元々が餅屋だったこともあり、餅の柔らかな伸びとコシと密度がとてもいい。塩気がほんのり効いていることもこの店の特徴。

 

そして強調したいのは、惜しげもなく散りばめられた大粒の赤えんどう豆である。

 

京都の畏友が「東京の豆大福は赤えんどうが柔らかすぎる。群林堂も瑞穂も松島屋もそこだけが不満や」と言ったことを思い出す。

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大粒の赤えんどう豆は固めだが、中はふっくら。見事としか言いようがない。

 

蒸し方が匠のワザなのだと思う。基本的に北海道美瑛町産を使用している。美瑛町は豆類の産地として注目の地でもある。

 

あんこは粒あんではなく、自家製のこしあん。きれいな雑味のない味わいで、アクを丁寧に取っていることがわかる。北海道十勝産小豆を使い、砂糖はおそらく白ザラメだろう。

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こしあんには塩をまったく使っていない。

 

餅に塩を使い、こしあんに塩を使わない。

 

すべてが絶妙なバランスの上に成り立っていて、食べ終えると、しばらくの間、余韻に浸りたくなる。

 

賞味期限が「本日中」で、午前中に買って、夕方食べようとすると、固くなりかけている。

 

へそ曲がりゆえに、観光客がいつも大行列という一点で、「日本一」の称号は付けたくないが、実際に食べてみると、そう言えなくなってしまう。

 

だが、ある日のこと。

 

京都・三条にある老舗食堂の女将が「あそこはもう普通ちゃう? 昔の方が美味かったでえ。売れすぎて、今は一部を工場で作っているんやて」とチクリ。

 

京都の奥の深さと恐ろしさを垣間見た気がした。

 

所在地 京都市上京区出町通今出川上ル青龍町

最寄駅 京阪電車出町柳駅

 

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京都おはぎの最高峰

 

今さらだが、京都の和スイーツには驚かされることが多い。

 

烏丸五条にある「今西軒」のおはぎもその一つ。

 

ある日のこと。東京の有名デパ地下で買った「仙太郎」のおはぎに感動したことを、京都に住む畏友に話したところ、「そりゃ、結構な話やなあ。でもなあ、京都は仙太郎ではなく、今西軒やで」と鼻先で笑われた。

 

京都に行ったとき、朝早く起きて、「今西軒」に足を運んだ。

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一日に作る数が限られているので、お昼前には売り切れてしまうことが多い、という話を聞いていたからである。

 

創業が明治32年(1899年)。3代目の時に、後継者がいないことから、平成7年に、一時暖簾を畳んだこともある。

 

惜しむ声に後を押されるように、平成14年、3代目のお孫さん(現在の5代目)が後を継ぐことになり、店を再開した。

 

町家づくりの古い建物と「名物おはぎ」と書かれたシンプルな木の看板から歴史がにじみ出てくる。

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おはぎは3種類のみ。こしあん、つぶあん、きなこ。それしか売っていない。それぞれ一個190円。

 

これが文句のつけようがないほど美味い。

 

きなこ、こしあん、つぶあんの順番で売り切れていく。

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引き継がれた手づくりのあんこが洗練されている。

 

きなこもつぶあんも風味といい、ボリュウムといい、味わいといい、京都の餅菓子の頂点あたりに位置すると思う。

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だが、もっとも唸りたくなったのは、こしあんである。

 

これだけピュアを感じさせるこしあんはそうはない、と思う。

 

つぶあんは濃い小倉色だが、こしあんは薄茶色。そのまばゆいばかりの分厚さ。

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口に入れた途端、雑味のなさに驚かされる。

 

洗練されたしっとり感。

 

甘さは控えめで、いい小豆の風味が広がる。塩は使っていない。

 

小豆は北海道十勝産を使っているようだが、素材を生かすも殺すも、作り手の腕前だと思う。

 

毎日、銅鍋で一定量しか作らない。すべて手作業。これを百年以上きちんと守っているのが並ではない。

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半つきの、粘りのあるもち米とのバランスがとてもいい。

 

口の中で混じり合い、さわやかな風となって、何処かへと抜けていく。

 

天国に近いおはぎ?

 

洗練されたこしあんのおはぎとはこういうものを言う、と改めて思う。

 

これ見よがしの宣伝も、能書きもない。憎たらしいほど、京都の奥の深さ。

 

ただ一点、日持ちしないために、その日のうちに食べなければならない。それがとっても残念だが、それ故にこそ、今西軒なのだとも思う。

 

所在地 京都市下京区烏丸五条

最寄駅 京都市営地下鉄五条駅

 

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きんつば界、東の横綱

 

小粋な包みを解いて、浅草「徳太楼」のきんつばを初めて見たときのこと。

 

それまでのきんつばとは、まるで色味が違うことに、つい見入ってしまった。

 

れいな乳白色の皮。それが8個入っていた。

 

1個135円(税込み、箱代は別料金)。真四角の形で、小ぶりだが、厚みがある。薄っすらと小倉色のあんこが透けて見えた。  

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焦げ目らしきものが見えないのが、不思議だった。

 

榮太楼の金鍔(きんつば)にしても、他のきんつばにしても、濃淡はあるが、素朴な焼き色が付いている。それがまた魅力でもある。 

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だが、目の前のきんつばには、それが見事なくらいない。皮独特の匂いも感じない。職人芸としか言いようのないきれいな焼き方。

 

小皿に移して、爪楊枝で口に運ぶと、皮はしっとりと柔らかくて、しかも薄い。洗練された、その食感が素晴らしい。  

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中の小倉あんは、甘さが物足りないほど控えめ。北海道産小豆を使っているが、つぶしあんではなく、粒とこしあんを合わせたようなあんこで、いい小豆の風味が立ってきた。

 

小さなそよ風が口の中を通り抜けていくような感覚。

 

寒天と水飴を上手い具合に融合させていて、ふっくらと炊かれた小豆が形を崩さないまま口の中で溶けていく。思わず、下町言葉で「うめえ」とつぶやきたくなる。

 

あっという間に、3個ぺろりと平らげてしまった。 

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徳太楼の創業は明治36年(1903年)。この年、日本で初めての映画専門館(無声)が六区で産声を上げている。現在は三代目。

 

作り方は基本的に初代の技をそのまま継承しているという。

 

近くには花街もあり、徳太楼のきんつばは長命寺の桜餅、言問団子などとともに、料亭の手土産としても重宝されてきた。 

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野暮ったいきんつばも好みだが、この洗練は感動的でさえある。

 

もしきんつば界に番付があったら、東の横綱に一票を投じたい。本気でそう思っている。

 

所在地 東京都台東区浅草3-36-2

最寄駅 浅草駅

 

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